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カリガリ博士


「カリガリ博士」(監督)ローベルト・ヴィーネ(71min)

1920年の公開から100年以上経った現在も様々な分野のアーティストたちに影響を与え、表現主義の名作として今なお輝くカリガリ博士。文学や映画だけにとどまらず、レッチリのMVなどにも世界観としてインスパイアされ、その人気は衰えることなく息づいている。

カリガリ博士は村のカーニバルで興行をする為、夢遊病者のチェザーレと共に村にやってくる。「夢遊病者チェザーレが25年の眠りから蘇ります!」と口上し、カリガリ博士のショーが幕を開ける。

預言者であるチェザーレにあなたの未来を尋ねてみてくださいと言われ、語り手であるフランシスの友人アランは「僕はあとどれくらい生きられる?」と質問すると、「もうすぐ死ぬ。夜明けまでにはな!」と恐ろしい預言を告げられ、翌朝アランは無残にも殺されていた…。

物語はシンプルな連続殺人事件のようでいて最後まで奇想と驚きが用意され、江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」のように不気味に開かれていく悪夢的エンディングは、一種桃源郷のようでもある。そして何といってもこの映画の素晴らしさはカリガリ博士とチェザーレのヴィジュアル。ジキルとハイドを思わせるような山高帽とマントに印象的な眼鏡の博士と、後にティム・バートンの「シザーハンズ」に引き継がれていくチェザーレの隈取りのようなメイクに拘束衣。一度見たらトラウマ級に忘れられないキャラを造形したことも偉業と言わざるを得ない。

サイレント映画であることを忘れる程に鑑賞者を惹き込み、アートとして刺激的なセット美術は、家具や窓、扉などそこかしこが歪んだデザインとなっており、サルバドール・ダリを彷彿とさせるところもシュルレアリスム的で面白い。

ナチス政権樹立後にドイツを出国しパリに住んだローベルト・ヴィーネ監督は、コクトーと共に「カリガリ博士」のトーキー版リメイクの構想を練っていたという。トーキー版はカリガリの魅力が薄れてしまいそうで微妙な気がするが、コクトーが加わった新しいカリガリの世界は見てみたかったと悔やまれる。今後もカリガリ博士の延長上に、どんな素晴らしい作品が生まれてくるのかとても楽しみだ。

そして今月、川崎賢子さんの「キネマと文人: 『カリガリ博士』で読む日本近代文学」が国書刊行会から刊行される。愉しみすぎて「カリガリ博士」を2連続で見てしまった。「近代日本の文学者は「カリガリ博士」の何に魅せられ、そこから何を汲み取ったのか」佐藤春夫、江戸川乱歩、谷崎、内田百閒、芥川、夢野久作などなど、名だたる文学者のカリガリに寄せる想いが読めると思うと嬉しすぎる。カリガリ祭を思う存分愉しもう!

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