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双極性障害の私が司法試験に合格する話(118)自分で死ぬのがダメとかいうの意味わからん。
正直、芸能人の自殺のニュースで、滅入ってた。滅入ってたっていうか、いいな、死ねて、って思ってた。
いいな、いいな、うらやましいな、よかったね、私もしたい、私も飛び込みたい、そう思ってた。
だけど、勇気が出なくて、きっかけを見つけられなくて行動に移せない。そんな自分が情けなく、彼女の死を惜しむ人たちに対して、申し訳なく思ってしまってた。私が代わってあげられなくて本当にごめんなさいって。
あの日から、ただの天気予報を見たいだけなのにネットを見るとニュースが出てくる。コンビニに入ると週刊誌や新聞にデカデカと書いてある。
その度に私は、「私も死にたかった」と思うわけで、それはとてもしんどい。多分、多くの人にとって、生きることは○で、死ぬことは×なんだろう。私は逆。死ぬことが○、生きることが×。だから、生きるのはめちゃくちゃしんどいし、生きてること自体が私は×だから永遠に生きてる限り、×をつけ続けてる。他人には、全部○つけるのよ〜なんていいながら、それって難しいことなんだと改めて思う。
自殺が憧れ、なんて言ったら問題かもしれない。だけど、タイミングを自分で選べるなんて最高な死に方だと思う。自然に任せるなんてそんなギャンブルなことはできない。
多分、私の死に方は、自殺だろう。だけど、まだ、今じゃない。この後、会いたい人がいて、やりたいことがあって、それに向かうと、生きることを○まではいかなくても、×をつけることに意識が向かない。そんな気の紛らわしをしてくれる対象があるから、騙し騙され生きてる感じ。
本質を見つめようとすると疲れる。だけど世の中は、嘘をつくなだとか、誠実に生きろとか、真面目さを良しとする風潮があって。それを私は実現させようとすればするほど死に近づくかんじがしてる。もっとヘラヘラ生きてていいよってなら、それも悪くないのかも、でも、ヘラヘラ生きてるなら死んでしまいたいとも思ってしまう。なんだろう、結局、私は死にたくて、だけど、それがいつなのかということが定まらないから、惰性で生きてるんだよな。
だから、「メンタルの薬飲んでたら、身体に悪いよ、薬減らそう、」とかいう人いるけど、違うんだよ。別に生きるとか長生きとかどうでもよくて、今をなんとか気持ちよく過ごすために必要なんだよって思う。薬漬け万歳です。
何が言いたいかわけわからないけれど、ここ数日、ずっとそんな思いが頭を巡って、勉強の邪魔してたのでちょっと文字にできそうな感じに落ち着いてきたので、文字にして吐き出して、頭の容量広げて、勉強戻ります。