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双極性障害の私が司法試験に合格する話(139)目標があるからなんとか生きてる。
私は目標がないと死んでしまう生き物だから。
お腹が空いたから、ご飯を食べることと同じ。心がぽっかり空くから目標のために走る。ただそれだけ。いつもいつも何か、自分にとって大きな目標に向かって走ってきた。
目標を立ててみたはいいけど、途中で、なんでこんなことやってるんだっけ?って意味がわからなくなってやめたことも山ほどある。ハーフマラソンも、大会の途中で、我に返って8キロくらいで辞めたし、株式会社を起業した時も、1年で、やる意味がわからなくなって辞めた。所属していた劇団の365日間舞台に立つという企画も、最後の2日くらいでやる意味を見失って降板したし、テレビの仕事もこれからという時に、辞めた。やると言ってやっていないことも山ほどある。
だから、よく、「お前はいつも途中で投げ出す」とか、言われるけど。本当にそうだと思う。だけど開き直ってみると、「最後までやらなかっただけで、一度はやってる。」と言うことになる。やらなきゃ、辞めることだってできない。やりもせず、構想段階で夢膨らましてたって、やってないんだから0と同じ。そうやって計画立てて、プラスにしていく人たちはいるから、構想を練ることを否定するわけじゃない。私がただ構想するのが苦手だから、やってみるしかなかっただけ。やってダメなら次へ行けばいい、そう思ってる。
この司法試験へのチャレンジだって、何か構想があるわけじゃない。
弁護士になりたいわけじゃない。お金持ちになりたいわけじゃない。法的に困っている人を救いたいとかそんな善良な想いがあるわけでもない。私はただ、普通に息をして、普通に笑って過ごしたい。それが私にとってどんなに難しいことか。いつでも、このうちのベランダから飛び降りられる。多分そっちの方がずっと楽。だけど、それをしないのは、まだできることがあると思うから。
それが司法試験に合格すること。
つまりそれは、親へのコンプレックスを解消すること。いつもいつも、親の顔色伺って、何をやっても親は越えられなくて、自分の自慢って何?って思えば、親が法曹関係の仕事をしているという事しかない。
ベランダから飛び降りるのは、司法試験に合格してからでもできることだから。やれるところまでやってみる。いつでも死ねるのだから私は怖いものはない。守るものもない。それが他の人より強い部分かもしれないとは思う。
もし、みんなも同じくらいに苦しいんだとしたら、涼しい笑顔で、普通に仕事をこなすみんなを尊敬する。私にはそれができない。できないのにやろうとするから、こうやって壊れたりするんだ。