見出し画像

双極性障害の私が司法試験に合格する話(295)人を好きになる能力。

私は自分を好きになれない。
 
容姿は悪くないし、育ちも悪くない。頭もそんなに悪くないし、ちょっと体調が不安定なだけで、五体満足だし、多分、私は、めちゃくちゃ恵まれている側の人間だ。
 
それなのに。どうしても、どうしても、自分を好きになることができない。
 
「好きになることができない」の意味をもっと虫眼鏡で見るとに、「自信がない」という意味でもある。そして、よく死にたくなったりするのは、そんな自分から逃げ出して、自分の人生を早く終わりにしたいと思っているから。だけどその勇気がなくてなんとなくズルズルと生きてしまっている。もっと、自分で、自分の人生を生きたいのに、今は、引きずられるように生きてしまっている。だから辛い。
 
そんな私でも、ひとつ、得意なことがある。それは、人を好きになる能力に長けていること。恋愛だけの意味ではなく、「この人素敵だな」と思える力があり、いろいろな人にときめいて、この人みたいになりたい!と思うことができる。 
 
これを惚れっぽくてだらしがないとか、同性愛を気持ち悪いと思われないかと、すごく恥ずかしいものとして自分の中で捉えてきた。
 
だけど、これって、能力なんじゃないかと、一昨日突然気がついた。 
 
そして、中でも、私が「この人素敵!」と思う人は、容姿でも、財力でも、地位でもなんでもなく、「頭がいいな」と思う人に限る。
 
困っている時に思いもしなかったアイデアで助けてくれる人、ものをよく知っている人、自分の言葉で話す人、難しいことをわかりやすく変換できる人、最悪の状況を面白おかしく話せる人、などなど。
 
頭がいい=学歴や学力ではない。近い言葉で言えば、生活力とかユーモアとか思いやりということなのかもしれない。
 
ものを知らないとアイデアは湧いてこないし、物事を多角的に捉えられないとユーモアなんて出せないし、相手の気持ちがわからなければ思いやることもできない。
 
私はそういう人のことを「あ、頭がいいな。素敵だな。」と思う。そして、それは自分にないから余計にそう思う。そういう人になりたいと思う。 
 
だから。だからというには、唐突で言葉足らずなのかもしれないし、むしろ、間違っているかもしれないが。
 
司法試験なのだ。学力でも学歴でもないと言ったけれど、司法試験なのだ。
 
自分が「頭のいい人」になれば、おのずと、自分を好きになれるんじゃないか。そんなことに気がついた。
 
だけど、「頭のいい人」なんてあまりにも漠然としていて、目標が定まらない。だから、司法試験なのだ。司法試験に通れば、ある程度、勉強の仕方を身につけ、勉強の体力も身につけ、何かを学びたいと思った時にまた深く学ぶ力がつく。
 
司法試験に受かることは、自分のため。自分を好きになるために必要なこと。 
 
この人生を引きずられるように生きていることに歯止めをかけるため、司法試験に合格をする。合格後は、心の中で、胸を張って、自信を持って、私の好きな「頭のいい人」として生きて、社会のために尽力したい。 
 
なんとなく、気づきがあったので、急いで書き留めた。

いいなと思ったら応援しよう!