双極性障害の私が司法試験に合格する話(301)「憧れを捨てる」方法。

今日は休日、たっくさん寝た。やはり私は寝るのが一番好きだ。

とはいえ、休日でも勉強しない日は作らないことにしているので、午前と夜はみっちり勉強した。今日は何の勘違いをしていたのか、LECの予備試験模試だと昨日まで思っており、それの対策が間に合わな過ぎて、絶望していたところ、1カ月以上先だと知り、そのとたんに気が緩んでしまった。なので、5月末の模試までの計画を練り直し・・・計画というか、目標だな。1日に30~40問の短答を解いていたのを倍にする計画に変更。集中すればやれる計算。一昨日だか、はじめて80問解けた実績もあるのでそれを当たり前にしていくトレーニングをする。

今日は休憩しながら、大谷翔平の名言「憧れを捨てる」という言葉の意味を考えた。この言葉、シンプルだから意味は分かりやすい。だけど、よく考えてみると、そう簡単に言える言葉じゃない。人の感情というものはそう簡単に捨てられるものじゃない。嫉妬心を捨てる、執着心を捨てる、さみしさを捨てる、などなど。それらの感情にとらわれている人にとっては、「簡単に言わないで!」と言い返したくなると思う。だけど、大谷翔平は、大事な試合の直前、当たり前のようにこの言葉を言った。多分だけど、こんな大事な試合の直前に普通は、到底無理なことは言わない。だから、感覚としては、「いつもの力出し切りましょう」と同じくらいのボリューム感なんじゃないかと思う。毎日死ぬほど人の何倍も努力した人達に向けた、「俺らなら勝てる」という全肯定のねぎらいの意味なんじゃないかと考える。あのメンバーはそれを簡単に「ソウダネ!」と受け入れられる能力を持っている人たちなんだと思う。あの言葉は、それを発言する人と送る人はごくごくわずかにしか許されないんだと思う。死ぬほどの努力をし、自信に満ち溢れなければ、発言することも、受け入れることもできない。

私自身、まだ、司法試験合格は、憧れだ。そんなんでは、到底合格には届かないと、この大谷翔平の言葉で思い知らされた。

司法試験の合格に近づくにつれ、きっと憧れの心は消えると思う。憧れの心を小さくするには、正しい努力でしかない。問題を山ほど解き、新しい知識の精度に磨きをかけていく。それを毎日毎日続けること。そこまでの努力がなきゃ、憧れなんてものは打ち消せない。

同じようにさみしさや嫉妬心、執着心なんかもそう。日々の努力によって自分に自信をつけること、それを地道にやっていくことでしか、捨てられない。何事も時間がかかる。コツコツの大事さをこの年になって思い知る。

いつ死んでもいいって思ってた、ちょっと前とはかなり生き方が変わったと思う。思わず長生きしてしまった場合のこの人生の向き合い方もまた考えていかなきゃと思う、最近です。

まとまらないまま、肩が痛いので、終わりにします。

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