双極性障害の私が司法試験に合格する話(390)「心配してる」と言ってくる人。
「心配してる」と言われると、嫌な気分になるの、なんでだろ?
私だけなのかな?
元気?とか、どうしてる?とかは、嫌じゃない。
心配してる、この言葉が私はどうしても嫌いだ。
でも、これを言われて嬉しい人っているかな?
あなたを心配している、ということは、つまり、私を安心させなさい、という意味に私は聞こえてしまう。なぜ、あなたを安心させるために私は生きなきゃいけないのですか?
それが、愛だという人がいるけれど、うーんどうかな?だとしたら、不器用な愛だよな。
大事なのは、「心配する」ことと「心配してると言う」ことは、別物であると言うこと。心配するのは、仕方ない。個人の内心に私は物申すつもりはない。私だって、他人の心配をすることはあるし。でも、それを言うのは、違う。発した途端、それは、人を巻き込むことになる。
心配してる、ということは、あなたをコントロールしたい、あなたを信用していない、私を構って、私を安心させて、私のことを見て、という、有害な自己中心的表現だなと思う。
でも、「心配してる」という言葉をもらって、例外的に、嫌な気持ちがしない時もある。
結局のところ、私の好き辛いに要因があるのか?とも思ったりして。
いやでも、前後のニュアンスで、違う。具体的な事実に対して、「あなたの今のこれこれについて心配しています」は、全然大丈夫なの。漠然と「あなた自身を心配しています」に嫌な気がする。
その違いは何かというと、その心配を解消できるか否か、ということ。前者は、できる。例えば、地震とか大雨があったとか、病気になったとか、それについての心配は、私がどうにかできるし、具体的に報告もできる。いつかは、解消できるから。でも後者は、どうしようもできない。多分、私が存在する限り、その人は永遠に心配する。私が死なない限り、一生心配するんだろう。つまり、超大袈裟に解釈すると、死ねってこと?とも私は捉えられる。これは、半分、冗談として。
さっき、そんな声掛けがあり、とても嫌な気分になったので、考えて、吐き出してみた。まだまだ私の考えが幼稚なのだろうと思うし、捻くれて解釈してるかもしれない。
他の見方がまた私にはできないので、私は人を批判する権利なんてないのだけれど。でも、書かずにもいられないので、書いてしまう。
この嫌な気持ちを丸め込むのがまた下手なので。今日はもうどうしよう。勉強に没頭したい!しよう!する!