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双極性障害の私が司法試験に合格する話(80)頭に浮かんでくる言葉たちを捨てていく。
頭に、いろんな言葉が浮かんできて、私の集中を阻害する。なんなんだろう。せっかく勉強中なのに別の単語がパッと出た瞬間、勉強モードだった背景がガラッと変わって別の世界に連れていかれる。
自分で集中を意識的にコントロールするって無理なことなのかな。
「集中する」って、能動的に語られがちだけど、私にとっての「集中する」は、どこまでも受動的。
集中できたら、なんかよくわからない、集中させてくれた自分ではないものに、すがりつくしかない。
「お願いです。どうして、私、今、集中できたか、教えてくれませんか?また次もお願いしたいのです。お願いします。」
だけど気がついたら、集中させてくれたその何かは、もうここにはいなくて、ただ私が、独り言を言っている状態。
自分の中にあるはずの集中力は、まるで他人のもの。不思議すぎる。
「集中力は、コントロールできない」ということを前提として、闘っていくことになりそうな、これからなのだけど。
全く、その前提に繋がる方法が思いつかない。気の向くままに私は、いつやってくるかもわからない集中力の波に乗るしかないのでしょうか。
集中力もそうだし、いい気持ち、も、そう。自分の中には基本的になくて、全てどこからかやってくるもの。
私の中は、いつも空っぽ。
空っぽだから、とりあえずなんか、掴んで入れてみると、それが、気分を落ち込ませるものだったりもする。空腹に薬飲むと良くない、みたいな感じ。
いいものだけは、自分にとどめておけたらいいのに、それができる融通さは持ち合わせていなくて。
常に空っぽ。そこに良いものが入っても少したったら消えていく。悪いものが入っても少したったら消えていく。
歳を重ねて、空っぽの私という船をなんとなーくうまく操縦する術は、身についたのかもしれない。だけど、空っぽを満たす方法は未だ不明。
さらに不明なのは、満たされた船を操縦すること。なのだから、満たしたって、操縦は難しくて。だから、私は、少なくとも31年間、空っぽ船を操縦した実績を自信に生きていくしかない。
空っぽな船が、海を漂う、意味って、なんだろう。
意味なんて考えてもどうしようもないんだけど。
つい自分の存在価値を知りたくなる。
存在価値なんか、ないってわかってるのに。
存在価値は、ありませんよー!っていうことにまだ、全身で納得いっていないから、疑ってしまうんだと思う。
自分の存在価値がないっていうことを、はっきりと納得できたらもっと楽に生きられるようになる気がする。
また勉強中に、余計な言葉が頭を浮遊しだしたので、ゴミ箱に捨てるように、ここに吐き出す。吐き出す。吐き出す。
さて、勉強机に戻る。