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双極性障害の私が司法試験に合格する話(187)障害の正体。

障害って、「障害者自身が障害を作り出した」とか「生まれつき障害を持っている」とかじゃなく、『社会が作ったこの世界が障害を生み出しているんだよ』と友人が教えてくれた。

友人は、高齢者や障害者を助ける仕事をしている。だから「障害」ということに対して、深い理解がある。ありすぎて障害者である自分が話についていけないほど。だから、私が今ここに書いている解釈が正しいものかもわからないけれど、私が理解した範囲内で、たとえ間違っていたとしても今の記憶を忘れたくないのでメモをする。
 
双極性障害だと打ち明けてくれた時に、友人が冒頭の言葉を言ってくれた。
 
初め、意味がわからなかったけれど、今になってジワジワ沁みてきた。
 
双極性障害の自分がわるい、こんなふうになった自分がわるいと、自己否定を繰り返していたけれど。
 
この社会は、一部の人が考えた「幸せの価値観」を積み上げて作られた世界。だから、その幸せの価値観が全ての人に該当するわけではない。

その一部の人は、たいてい、能力のある人だとか、財力のある人だとか、権力のある人だとか。ある意味、マイノリティの人たちなわけで。
 
そんなマイノリティが作った社会なのだから、そこにそぐわない別のマイノリティ(私みたいな)にとっては、生活しずらい世界でしかない。
 
(LGBTQだとか障害者とかがマイノリティと言われるけれど、それだけじゃない。社会的強者も私はマイノリティだと思ってる。)
 
だからこそ、生きづらいと思っている人が、声を上げていくことが大事なんだと私は思う。
 
うまくいかないことや、山ほどの失敗や人に言えないこと、LGBTQだとか、精神障害者だとか、ADHDだとか。いうのはとても恥ずかしい。今でも面と向かって話せるかと言われたらちょっと躊躇してしまうけれど。だけど、自分がこの世界で少しでも生きやすくするには、声を上げていかないといけないなと思った。
 
別に世界を変えたいわけじゃない。法律を変えたいとか、政治家になるとかそんなんじゃない。せめて、自分の暮らすほんのちょっとの生活圏内だけは、生きやすい場所にしたい。社会が作った障害物を自分で少しずつ、取り除く。それが結果、誰かの障害の作ることにもなるかもしれない。その時は、その誰かがまた、声を上げてくれたら、一緒に話し合って共存できればいい。
 
生きづらくて、私はいろんな人をこれまで攻撃して生きてきてしまった。その時は、その方法しかわからなかったから仕方がないけれど。離れていった人は山ほどいる。家族なんかは特にそう。だけど、同じことをしたのに、それを攻撃ととらえず、私らしさだと受け入れてくれる、離れていかなかった人だっている。その人たちで構成された世界が私の生きる世界なんだと思う。それはとても狭い。狭いけどとても快適。この世界を大事にしたいと思う。
 
そして、周りにいてくれている人にとっての障害を除いてあげられる人でありたいから、今、私は勉強してるんだなと。
 
再認識してる。
 
障害は誰にもあるし、人間が作り出したものだから、除くこともできる。
 
双極性障害も大変だし、ナルコレプシーも大変だし、いろいろ大変だけど。
 
今の私の1番の障害物は、司法試験! 
 
それを超えることを思えば、体の障害なんて大したことないなと、元気な今は思ったりする。元気だから言える戯言でした。

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