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双極性障害の私が司法試験に合格する話(74)成長はさせるもんじゃない。

成長はさせるものじゃなくて、いつのまにかしてるものなんだと気づく。

当たり前のことなんだけれど。

つい、成長しなきゃ成長しなきゃと焦って、毎日努力してるのに、成長していない自分に落胆する。勉強してると、毎日わからないことが出てきて、「ああ、全然前に進まない、成長してない」って自分を責める。

だけど、一年前の私は、10分も、勉強机に座れなかった。それが少なくとも75分(講義+復習)は机に座れる。集中度は、バラツキがあるけど、それでも勉強机に座ることが当たり前になった。

一年前は、司法試験の勉強をしてるだけでしんどかった。なぜなら、自分が試験に受かるわけがない、やっていることに意味がないと思い込んでいたから。あとは、弁護士になったところでやりたいこともなかった。

だけど今は、違う。絶対に受かると思っている。毎日の勉強がほんの少ししか進まない日でも、確実に前進しているように計画表で可視化したり、復習に使った殴り書きなども全部保管して、ルーズリーフの厚みを見てニヤニヤしたりする。いつ到達するかわからないけど、確実に前進してる。それを意味ある前進だと見られるようになった。

弁護士になってやりたいことも具体的になったわけじゃないけど、司法試験に受かったら司法試験の勉強のノウハウで英語の勉強をスタートさせ、3年まじめに働いて500万円を作り、イギリスの大学に留学して学位を取る。10年先の未来が具体的に見えるようになったし、確実にやれると思っているから、今の時間が意味あるものに思える。

それは短期間ではわからない成長だと思う。

観葉植物や、ベランダのハーブを育てながらそんな事を思った。観葉植物は一緒に暮らして1年と少しが経つけれどかなり大きくなった。ベランダのハーブは三ヶ月くらいだけど、もう何度も収穫してる。

早く育つハーブと、ゆっくり育つ観葉植物。

それらの成長を見ながら、どちらも、私にとっては癒しになっているのだから、成長が遅くたって、いいんだなって思う。

私は自分が成長の早い人間だと思い込んでた。それなのに勉強がなかなか身につかないことに苦しんできたけど。私、全然ゆっくりな人でしたわ、と気づく。

芝居もうまくならないし、文章もうまくならないし、絵もうまくならない。

だけどそれなりに、芝居でも文章でも絵でもお金をもらって仕事になってきてる。うまいとか成長が早いとかそういう事を評価されてるんじゃなくて、下手くそでも今の私を求めてもらっててそこに値をつけてもらってる。

不必要に自分を責めることはないって思うようにする。

ってこれを書いてるってことは、今すごく責めてるんだけれど。

この今の苦しみが、1年後、どうなってるだろう。楽しみ。時間が過ぎるのを淡々と待ちながら、手を動かすしかない。

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