双極性障害の私が司法試験に合格する話(349)新聞を読む自分は結構好き。
新聞購読し始めて2週間ちょっとが経過した。
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朝ごはんを食べながら1面と2面を読む。その後、ザーーーっと気になる記事に蛍光ペンで印をつける。 夜、20分の入浴タイム中に、印をつけた記事を中心に、全ページをくまなく流し読みする。
これが実はなかなか難しい。20分ってあっという間なのだ。記事一つ一つを真面目に読んでいたら、何時間あっても足りない。毎日これだけの記事を書く記者さんたちの働きぶりに頭が上がらない。だから、もったいない性分で、とにかく、全ページに目を通すことを目指すことにした。結果、流し読みをするしかない。
だけど、読み終えて、「今日の新聞記事について語ってください。」と不意に問いかけられたら、答えられない確率は、限りなく100パーセントに近い。
でも、いいことにする。
流し読みも訓練なんじゃないかと勝手に思っている。繰り返していたら、このスピードに、目や脳が慣れて、だんだん理解できるようになるんじゃないかと。しないよりは、する方が絶対…いや、きっと、いい。
まだまだ、全ページ到達できずに、20分のタイマーが鳴ってしまうこともあり、もったいないなと思いながら、お風呂から上がり、汗か湯気で湿った新聞を資源ゴミの棚にしまう。
休刊だった日は、何気に嬉しい。流し読みを2回することで、理解が深まる。すると、結構面白い。
私の知らない社会で、いろいろなことが起きている。全ページくまなく流し読みと言いながら、ほぼ見ない株価のページだって、この数字に人生が左右される人もいるんだろう。岸田総理の1日の動きなんて、分刻みのスケジュール。と思ったら、早くに帰宅している日もあり、カープの中継見たりするのかな?なんて想像してみたり。
司法試験の塾でも、新聞は、特に読むようにすすめられていた。どんな効果があるか、これで成績が伸びるか、それはわからないけれど。想像するに、仮に弁護士になったとき、Yahooニュースしか読んでいない弁護士よりは、新聞をくまなく読む弁護士の方が私は信頼できると思うかな。信頼と言うと大袈裟だけど、なんとなく、新聞派の人の方が私は好き。だから、この習慣は、続けていけるようにしたいと思う。
自分の好きな自分でいられることを少しずつ、習慣にしていき、当たり前にしていく。
自分を愛そう、とか、よく聞くけれど。「はい、今日から、愛しまーす。」みたいな境目がくっきりあるものじゃなく、少しずつの積み重ねなんだと思う。
誰かみたいになりたいとばかり思ってきた私にとって、自分を愛することについては、私はまだまだ新米なので。偉そうなことは語れないけれど。なんとなく、やりながら、多分、正解の道を歩けている、そんな感覚が今はある。
世の中にあふれるモノやサービス、どれにお金をかけて手をつけるか。自由だからこそ難しい。迷った時は、「好きな自分でいられるか」これを大事にしようと思う。