双極性障害の私が司法試験に合格する話(427)環境を変えるのだから苦しくて当然。

朝、散歩をしていたら、気づきが降ってきた。

いま、私、環境変えようとしてる最中なんだから、負荷かかって、苦しくなるのって当然じゃん!っていう、とても当然なことに、気づいた。気づいてみたらどうってことない当然のことなのだけど、気づかなかったから苦しかった。

ローカルの芸能界から法曹の世界へ行こうとしている最中。それが、司法試験だから難しいわけではなく、例えば、スポーツの世界だとか、宗教の世界だとか、医療の世界だとか、そういうまったく、芸能とは違う世界に、入ろうとしているのだから、そりゃ大変なことだよな!と。まだ、芸能に近いアートの世界とかマスコミの世界なら、これまで培ってきた経験でなんとかなるかもしれない。でも、法曹の世界は全くの異世界で、使う言語がそもそも違う。その言語を覚えることから始めるのだから、そりゃ大変だ。私の年齢で5年アメリカに住んだからって、ネイティブの喋りができるってことはそうそうないでしょう。そんな感じで、私は法曹の世界を目指しだして4年ちょっと、まだ、4歳の赤ちゃんなのだ。いい加減立って、カタコト喋れはするが、世間から見たらまだ赤ちゃん。赤ちゃんであることを赤ちゃんは責めないし、焦ったりもしない。中には1年ちょっとで合格して、弁護士や裁判官デビューしちゃうエリートもいるわけで。でも私は、これまで受験勉強というものを真剣にやったこともないし、その点でも赤ちゃんなのだ。

だから、いいんだ。これで。苦しくなったら、赤ちゃんみたいに泣くし、なんで泣いてるのかも説明できないし、よだれもこぼすし、転ぶし、人に迷惑もかける。

生き慣れる、っていうか。なんでも慣れかなって思う。慣れって、やっぱ経験の数がものをいう。やるしかないのだ。やったらやっただけ身に着くのだ。身に着くと面白いからもっとやる。そして幸せになる。慣れるまでの、ふんばりは必要だなと思う。

勉強の中に、やっとおもしろさとか楽しさを見いだせつつある最近。前も、そんな気持ちになることはあったけど、最近はより、その気持ちの割合が増えてきたように思う。

ま、今、体調が安定してるから言えることなんだけど。

目の前にあることを一生懸命にやるって、気持ちいい。別に、これ、やらなくてもいいこと。誰に押し付けられたわけでもない。でも新しいものを探すのは大変で。だから、目の前にあるたくさんのテキストを好きになって夢中になる方がいいなと思う。あんなに嫌いだった勉強を何時間も机に座ってやれるようになってるんだから、相当好きじゃん。4年ちょっと・・・片思いだとしたら結構な純愛じゃないか!

それに、司法試験投げ出したとして、何か別のことをするにしても、また4年苦しかった環境を変えることへの苦しみを味わうことになる。それと比べたら、圧倒的に目の前の困難に立ち向かう方が楽じゃん!と思う!

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