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双極性障害の私が司法試験に合格する話(81)顔の見えない他人の評価はいらない。
私はどうしようもなく、ナルシストなんだってことを、自覚する。
評価基準は、ずっと自分。
どんなに儲かろうが他人が褒めてくれようが自分が気に入らなければ、評価はゼロ。
だけど、儲からなくても批判されても自分が気に入れば、評価は満点。
満点取れたら私は超幸せ。
本質はそうなのに、つい他人の目を気にするのはなんだろう。ナルシストでは良くない、他人の評価が本当の評価なんだ、というどこから拾ってきたかわからない価値観を自分に押し付けてきた気がする。
顔の見えない相手の言葉に苦しんで、その顔の見えない相手の笑顔を見たくて、頑張ってきたけど、そもそも顔が見えないのだから、笑顔なんて見えるはずもない。
一生見えるはずもないもののために努力してるなんてアホらしい。努力してきた筋肉はどこかに確実についたとしても、私が欲しい満点には、近づかない。どこまで行っても0点。
司法試験合格の目標は、自己満足でしかない。自分のコンプレックスを埋めるためには絶対に必要。だから、司法試験合格後の未来は、想像しにくいし、その未来があることで頑張れる、とかではない。
ただ、今は、司法試験合格に向けて、前に進んできた道のりを見て1点、2点と、自分に点をあげていくしかない。
だから、勉強で使ったメモを残しておくことや、どれだけやったか可視化する事は、とても自分に効果的だってことがわかってきた。
鏡を見たら、私が世界一可愛い!と思えるのに、外に一歩出た瞬間に、その気持ちは砕け散る。途端に人と比べて自分に順位をつける。自分の低い位置に嘆く。
だから、一人でいるのが好きなんだと思う。一人でいたらいつまでも私は一番で、王様で、完璧。
他人に向ける笑顔はいつも作り物。
だけど自分に向ける笑顔はいつも満点。
せっかく一人で過ごしている幸せな時間を、他人の評価で苦しんで、その一人の時間を無駄にしたくない。
私はナルシスト。ナルシストでいられる時が精神的に安定していて、ナルシスト的に許せない部分を補うために努力をする。
他人の評価が嫌いなくせに、人間が好きで、人の話を聞くのが好きで、戯れるのも好きなの、まじで厄介。