双極性障害の私が司法試験に合格する話(367)お金いらない。

私はお金がいらない。

でも、いい生活はしたい。それなりの土地で、それなりの部屋で、それなりのベッドで、それなりの冷暖房があって、ソファとテーブルと、美味しいコーヒーと、お気に入りの服と。

これは、相反する欲求なのかもしれない。お金いらないくせに、いい生活がしたい。自分でも何言ってんだろうかとずっと思ってきた。

実際、いらないとはいえ、お金があるおかげで、今の家に住めているし、ご飯も食べられているし、欲しいものも買えている。勉強だって出来ている。

でも、生活が満たされてはいるけれど。心の中をひっくり返した時に、私の心にパンパンに詰まっているのは、「不安」だ。その不安の真の正体は、お金だ。言い換えれば、将来への不安だ。でも、お金があれば、私の不安は拭われる。この今の暮らしをキープできるか、不安はそれだけだ。雨ざらしのコンクリの上で寝るハメにならないか、本当にそれだけなのだ。

今は、お金がある。少なくとも、来年の夏までは、最低限の暮らしを継続できるだけのお金はある。だから、来年の夏までは心配いらないはずなのだ。だけど、私は、来年の夏以降の心配をしている。お金どうしようか、生活どうしようか。そんなことを考えているから、苦しくなる。そりゃ病気にもなる。一概には言えないけど、双極性障害の原因の一つでもある気がする。お金があれば使いすぎる。ないなら困る。どーすりゃいいんだ。

だからね。私、お金いらない。

お金なくても生きていける社会、そんな小さな社会を自分で作ったらいいじゃんって思った。

お金を否定するわけじゃない。私が言いたいのは、お金の中にある、価値、そのものをもっと意識しなきゃ、ということ。お金の数字に気を取られて、本当の価値の良し悪しが見えなくなっているんじゃないかと自分で思う。

数字苦手だし、そもそも概念が理解できない私にとって、お金ってすごく難しい存在。

ここ最近、3万円+送料880円の買い物をした。3万円なんて、私の月の食費の倍だ。どんなに腹ペコでも98円の羊羹を買い渋る私にとって、3万円は、とっても高価だ。

だけど、私は、その作品を買った時、手元に届いてもいないのに、ワクワクした。それだけで、明日も明後日も明明後日もがんばれる!そう思った。そして、手元に届いた時、もうあまりに感動して、送ってくれた人に電話をした。感謝を伝えるつもりが、私の悩みを聞いてもらってしまったりして、なんか、結局もらってばかり。3万円じゃ足りない気がして。でも、お金で払えるほど、お金(札)は、持っていない。だから、なんかでお返しできないかとグルグル考えてる。今の私は、司法試験に合格して、あなたの作品のおかげで、私は、ここまでやれた!といって、社会に還元することなんじゃないかと思った。

て、何が言いたいかというと。お金(札)にすると私は高いと感じちゃう。でも、本当の価値は3万以上あるものだったし、3万じゃ安すぎると思った。お金が介在することで、そこら辺が、私自身こんがらがってる。何が言いたいかというと、と言ったくせして、まとまってない。笑

私も絵を描いたりする。自分の作品を欲しいという人が、過去に6万円で絵を買ってくれたことがあった。6万円という数字に恐縮する反面、実のところ、6万円ポッキリか、とも思った。私の今の価値は、6万円。自分ちの月の家賃より、安い。そんなもんかと。なんか悔しかった。それが正直な気持ち。でもね、その人がすごくすごく喜んでくれて。私の絵をその人のお店に飾ってくれて。あれからもっと仲良くなった気もする。お金をもらって悔しかったけど、その人の笑顔が見れて嬉しかった。もしかしたら、お金のやり取りなかったら、その人、もっと笑顔だったんじゃないか?とも思った。そして、私もこんな悔しい思いしなくてよかったんじゃないかって思った。だけど実際は、その6万円で家賃の足しにしたし、6万円もらわなかったら、私はさらに98円の羊羹を何日も何日も我慢しなくちゃならない。だから、お金はもらってよかった。助かった。

でもこの気持ち、悔しいとか、なんとなく、わだかまりのある、すっきりしない気分。お金をなくしたらどうなるんだろう?って最近考えてる。

私はお金をもらうたびに、申し訳ない気持ちになる。

お金は、あなたの労働の価値。そう言ってくれる人もいる。でもそうだとしたら、私はもっと悲しくなる。こんなもんなのかと。

私はお金は、いらない。私が欲しいのは、価値あるものだ。

自分から生み出された絵やお芝居に値段をつけられるのが嫌だ。自分自身に値段をつけられているようで苦しくなる。だから、これで生活することは現代の社会では難しい。

ここからの論理がうまく説明できないのだけど。

だから、すごく、飛ぶけど。

だから、司法試験なのだ。弁護士なのだ。

弁護士の仕事でお金を稼ぐ。これは、私の価値じゃない。日本という国が作った、仕事の価値なので、私が作った価値じゃない。いい方に転べば私がやることで付加価値がつくかもしれない。まあそれは置いといて。日本が作った、日本が値段をつけた、商品を私は売って、お金を得て。

私自身が生み出す絵やお芝居なんかは、お金を介在せずに、やりとりしたい。

と今は、思ってる。

人に伝えられるようなほど、まとまってないし、語弊だらけだろう。でも、今の自分の頭の中のこのアイデアを忘れたくないので記録した。自分のための記録です。

なんか、それ違うだろ!とかあったら、聞かせて欲しい。まだ、絶対的に固まった考えではないから。お金の歴史や本質もまだわかってないし、ビジネスのことなんかさっぱりわからん。単なる、33年のらりくらり生きてきた私の主観だけなので。

さ、勉強しよ。頭の中、お掃除したので、今日も捗りそう。


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