双極性障害の私が司法試験に合格する話(372)頭を使わない。

最近、カウンセリングに通い始めた。
 
どんなカウンセリングかという話を書くのは疲れちゃうのでバッサリ省くけれど。カウンセリングをして思ったのは、私、普段から、頭使いすぎてる!考えすぎてる!ってことに気づく。
 
レイヤーを重ねて重ねて何重にも物事を考える。そして、答えが出ないまま、もーいいわ!!!って投げやりになって、テキトーな答えを出してしまう。それを大事な時にもやってる。ここぞというところで、私は、よく間違える。
 
法律を勉強し出して、1番良かったのは、ロジカルシンキングを学べたこと。いわゆる、論理的思考。この論理的思考という言葉に苦手意識があったのだけれど、要は、筋の通った、一貫した考え、ということだね。どこを突かれても、「これはこういう理由なんです。」と答えられる。そういう人って、やっぱり、信用できる。一緒に仕事したくなる。そしてかっこいい。自分にないものを持ってるからこそ、憧れたりしていた。
 
でも、違った。ロジカルシンキングができる人って、持って生まれた才能だと思っていたけれど。そうじゃないことに気づいた。単なるスキルだ。多少の向き不向きはあるけれど。五体満足なのであれば、自転車は漕げるし、訓練すれば車だってバイクだって乗れる。上手い下手はあるけれど、一般的には多くの人がやれること。ロジカルシンキングも、そういうものだということがわかった。だから私も、訓練さえすればできるのだ。
 
まだまだ、訓練の途中だから、難しいと感じるけれど。でも!ロジカルシンキングを身につけられたら、頭を使わなくて良くなると、私は思ってる。
 
ただ、目の前のブロックを、いい感じに積み上げるだけのことだ。それをいい感じに積み上げるために、じっと考える人はいないでしょ?一部の天才は考えてから一瞬で積み上げるかもしれないけれど。私のような凡人は、まず、手を動かす。積み上げてみて、崩れたら、別の方法を試して繰り返す。そこに、頭なんか使わない。考えない。ただ黙々と手を動かして、やるだけ。
 
それに気づいてから、勉強が一気に楽になった。たまに、楽しい時もある。もし、苦しいなら、その方法は間違ってるから、一度手を止めて、やり方を変える。
 
勉強=考える、頭を使う
とばかり思い込んでいたけど、頭にだって許容量はある。重たい荷物をいくつも持ち上げられないように、頭にだって限界はある。頭の能力を私は過信していた。
 
そして、カウンセリングですごいなと思ったのが、自分の記憶だ。全く忘れていた幼少期の思い出を画像がそのまま出てきた。そこにいる人の顔や名前、肌の質感や体型まで、しっかりと思い出せた。その時のことを一生懸命覚えようとした記憶はない。ただの私の日常だった。
 
だから、暗記は、力を入れてすることじゃない。日常に組み込む。それを繰り返す。毎日、何も考えずに歯を磨くように、覚えたいことを繰り返せば、しっかり、記憶に残る。
 
問題は、その記憶をどう取り出すかだ。今回のカウンセリングで、先生のレクチャーによって、過去の記憶を引き出せた。それを自分で、しかも試験の時に瞬時にしなければいけない。それもトレーニングしていかないといけないけど、そのことについてはまだ、考えがまとまっていないので書かない。

とにかく。
 
私が頭を使うのは、試験の時だけ。たまに、試験さながらの頭を使うトレーニングをするのは必要に思うけど。でも、常時、こんなに頭を使う必要はない。そりゃ病気にもなる。
 
毎日の報告書をつけるようになって、自分がぼーっとしてる時間がよくあることに気づく。パソコンが固まる時と同じなんだろう。いっぱいいっぱいになってフリーズしてる。それを無理してよく頭が痛くなってしまう。
 
ああなってしまったら、もう、その日は、おしまいにして、すぐに寝るべきだ。
 
だから、そうならないように、頭を使わない。
 
そのために、仕組みを作る必要がある。そこで、ロジカルシンキングが必要になる。
 
仕組み作りに頭を使えば、そのあとは楽になる。あとはただ、やるのみ。
 
なんか、ワクワクしてきた。

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