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双極性障害の私が司法試験に合格する話(165)
今日は、やる気が皆無なので。なぜそうなのかをここで考えてみたい。しばらく、更新しなかったのは、とても調子が良くて、noteを構ってる時間が惜しかったから。更新がない時は調子いい時なのでして。更新があると立ち止まっている時。調子が悪い時の感じを忘れないようにここに書き綴っているわけです。
通常なら、30問近く過去問を解いて解説をじっくり読むことができるんだけど、昨日は、15問でギブアップ。後半は、全く集中力が続かず。家に帰ったら服も着替えず、布団で死んでた。
朝起きても、目は覚めるけど、体が起きてこない感じ。今の今も、なぜだか、ダメ。
休もうにも何をしたらいいかわからず、とりあえず、自習室に来てみたけれど。今日は、なんだか、絵が描きたい気分になってしまってる。帰って絵を描こうか。そういう日にしようかと思ったり。だけど、このリズムを崩したくないと思ったり。ただ迷って時間が過ぎるのが一番嫌だ。やるなら、絵を描くか。勉強か。どちらかだ。
この、なんかよくわからないぼんやりとした、やる気の向けどころがわからない状態ってなんなんだろう。いつもある、モチベーションがどこかへ行ってしまう。勉強したくないわけじゃない。休みたいわけでもない。なんかなんか。なんだろう。わけがわからない。
とりあえず、わからないから、ひたすら、なんか、手を動かしてみることにする。刑法を持ってきてるので、刑法のテキストの模写でもしてみることにしよう。
「勉強をする」と思うとぼんやりして何をしたらいいかわからなくなる。そうではなく、模写をする、問題を1問解く、解説を見る、行動を細かく決める。
「理解する」は、これまた難しいことで、する、と言ってもできる時とできない時がある。だから、「理解する」という目標はダメ。理解はあくまで、付随してついてくるものなので。解説を10回読む、模写を5回する、とか、そういう、「やったらできる」目標を掲げて行くしかない。と、今気づいた。
あー、そうなんだよな。「こんなにやってるのに理解できてるか不安」ってのが私の勉強へのストレスなんだきっと。「理解する」ってのは、「夢が叶う」みたいなことで後からついてくるものだから、私がどんなに足掻いても確実に手に入るものじゃないんだ。だから、「理解」を目指して動いているとすごく疲れるし、理解できなかった日の焦燥感がすごくて苦しくなる。
理解を目標にすることはもうやめよう。焦って苦死んでいるような時間はもうない。ただひたすら、手を動かすしかない。理解できる問題がまだ山ほどあるのに、そこに手をつけられないまま試験に挑むほど勿体無いことはないから。理解できる問題を確実にやれるように準備しておかなきゃな。
あ、書いたら、元気出てきた。さ、やろう。アウトプットってすごいな。noteさん、ありがとう。