双極性障害の私が司法試験に合格する話(360)私がタトゥーを入れてしまった理由。
私の背中には、上部一面に4つのタトゥーがある。
何も知らずに私の背中を見たら、ギョッとするくらいのインパクトはある。
今は、司法試験の受験生をしているが、職業を聞かれたら、私は「女優」と答える。女優の背中に、タトゥー。そもそも日本ではまだまだ受け入れられていないタトゥーが、人前に出る仕事である女優の背中にあったとしたら、それは大問題、なのではないか。少なくとも私は、自分で、そう思っている。私は、女優としては、失格、なのだ。売れている女優ならまだしも、これから出ていきたいと思っているほとんどキャリアのないの女優。女優をすると決めたのだから、脱ぐことも当然覚悟している。それなのに。なぜ。
死のうと思ってた。死ぬなら、その前にやりたいこと全部やってから死のうと思った。だから、入れた。女優だから、タトゥーは絶対ダメ。そう思って入れてこなかったけれど、死ぬならもう関係ない。だから、私は、タトゥーを入れた。入れて、死のうと思ってた。
それなのに。
私は、タトゥーを入れた背中が、あまりに気に入ってしまった。タトゥーを入れて、もう3年経つが、いまだに毎日、風呂場の鏡で、自分の背中を見ては惚れ惚れする。かっこいい。美しい。自分自身のことを心からそう思えたのは、初めてかもしれない。うん、初めてだ。
そして、死ぬのが惜しくなった。タトゥーで、体を包めば、私は自分の全部を愛せるかもしれない。そう思った。毎年自分の誕生日に、タトゥーを1つずつ、入れていった。
だけど。今年の誕生日、タトゥーを入れなかった。すでに今のタトゥーで、自分を気に入っていたところもある。だけど、これ以上増やすと、女優ができなくなる(もうすでにできないかもしれないが)気がした。
映画の中の登場人物になるのに、タトゥーは、邪魔だ。メイクで隠すにも限界があるだろう。背中の質感は明らかに変わる。それを嫌う監督やカメラマンたちとは、今後、私はもう仕事はできないだろう。
だけど、死んでいては、もっと、女優ができなかった。
タトゥーが命を救ってくれた。
今は、司法試験合格に向けて、勉強をしているが、合格後は、女優の仕事をするつもりだ。弁護士の仕事も(なんでもそうだけれど)女優をやりながら、片手間でやれる仕事とは思っていない。だから、自分が弁護士になるというイメージはできていない。
司法試験は、自分に自信をつけるため。いわば、精神のタトゥーだ。一生消えない努力の証。この先のことは、司法試験に合格してから考える。
背中に大きなタトゥーのある、司法試験に合格した、女優。
訳がわからないが。
私は私。私の気にいる私を、自分で作っていく。
タトゥーを入れて、自分をかっこいいと思えたように。そんな気持ちを、今度はタトゥーアーティストの力を借りずに、自分で手に入れたい。
女優に復帰したら、女優としては、マイナスのタトゥーのある松島とでも一緒に仕事をしたい、そう思ってくれる人と仕事がしたい。その人たちのために、なんでもやる。全力をつくす。
そう思ってもらえるような、人間に、まず、ならなければ。
ワクワクするじゃん。いつのまにか、私は、死のうと思うことがなくなった。