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双極性障害の私が司法試験に合格する話(97)どうして私は嘘をつくのか。

私の口からは、歌うように嘘が出る。

嘘つきなのがずっと悩みだったんだけど、なんでか少し分かった気がするので書き留めておく。

私は空っぽ。

だから嘘をつくのかもしれないと思った。

空っぽだから、嘘で外堀を埋めて、空っぽじゃないようにしようとしてるのかな。

結構大胆な嘘もつくし、しょうもない嘘もつく。意識して嘘をつくこともあるし、無意識で嘘が出てしまうこともある。

ついた嘘の自分を演じるためにさらに嘘をつく。どんどん、空っぽを覆い尽くす嘘の壁が分厚くなって、空っぽの自分の、空っぽの部分に戻れなくなって、嘘をつくしかなくなってる。

空っぽの自分なのだから、そもそも空っぽで、だからそこに戻ったって何もないのだから、結局は、嘘をついてしまう気がして、こんなことを考えても堂々巡りなのだけど。

だからこそ、こうやって、自分の嘘なのか真実なのかわからない気持ちを、口から出す形ではなく、文字にして出すことにしてる。振り返った時の自分の嘘は大抵恥ずかしく、「何カッコつけてるんや」って気持ちになるから、今は振り返らない。

嘘をつく自分に自分で責任取るためにも、誰でも見えるところに書く。

っていうか、自分で嘘なのか本当なのかわかっていないのが正直なところで。

嘘をつかないようにしようとすると、全てが停止してしまう。全て嘘でできた私が、嘘をつかないようにするということは、大袈裟だけど死ぬことに直結する感じもしてて。素直で、正直でありたい、っていうのと自殺願望っていうのは、私の中ではとてつもなく似てる。

だけど、嘘はつきたくない。だけどついちゃう自分。そういうののバランスを保ったような保ててないような保ち方で、文字にしてる。

結果、それが嘘かもしれないし。本当かもしれない。自分ではもう全然わからなくなってる。

今勉強している民法で、例えるなら、

意思の中では、誰にも通知もしていなければ到達でもなんでもなく、それは法律行為じゃない。(刑法だとまた違うと思うんだけど?忘れたなあ。)

だけど、ひとたび、意思表示をしたら、それはもう法律行為になる。その表示が心裡留保(思ってることと違うことを示すこと)や錯誤(間違い)だろうが、必ずその法律行為には相手方がいて、その相手方や第三者を保護する規定がある。意思表示をしたものには、その意思表示の責任がある。(例えあってるか自信ないけど)

だから、嘘つきを個性と認めたい自分の気持ちもあるけど、他人に損害を与えるような迷惑をかけないことは、法律を学ぶ者として、そこは、大事にしたい。

なんか、勉強するたびに、自分の心の嘘の壁を剥がされているようで。痛いような。でも真実を見せてくれてありがたいような。

ただの、資格のための勉強なのに、自分自身の心のためにすごく役立っている、そんな感じがしてる。

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