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『進撃の巨人』と、他人を裁こうとするとき
他の人の何か、
眼の前での言動や、SNSでの記述、遠いところで起きているニュース、等など
を見たとき。
「なんであんなことするんだろ」
「もっとこうすればいいのに」
「まったく理解に苦しむ」
そんな事を思ったり、口にしたりする事がある。
そんな時あなたは、実は他人を裁いている。
自分の中にある「常識と思われるもの」に、見たものを照らし合わせて、それに合わないものを批判している。
自分の尺度で他人を見ると、当たり前のようにそんな事は起きるもので。
そして、裁いている当の本人が、最もモヤモヤしている。
もし、何かを見聞きしたときに、
そんな、他人を裁く気持ちが湧いてきたときには、
「ああ、私の中には、これが常識だと固く信じている気持ちがあるのか。」
と、いったん俯瞰してみる。
例えば、不倫をしている男のニュースを見て
「浮気して最低」
と、思った人が居るとしよう。
その傍らに、一夫多妻制の国の男性の56人目の妻に生まれた子どものニュースがあったとき、その人はどう思うだろうか。
「56人も女を囲って最低!」
と思ったなら、その人の世界の常識は、
「男女はツガイであるべし」
なのだろう。
「正式に婚姻が認められている国の多重婚ならばなんとも思わない」
ならば、その人の世界の常識は、
「法律は守るべし」
なのだろう。
同じ事象を見て同じ批判をしたとしても、人が持つ常識は、実は少しづつ異なっていたりもする。
だから、もし、他人の何かを批判したくなった時には、自分の中に今、どんな思いがあるのかを探ってみると中々面白い。
日常の自分事でやるとなると、中々難しかったりするので、例えば小説や漫画などの物語でそれをやってみるとやりやすかったりする。
私の場合は『進撃の巨人』がかなり好きで、夢中になって読んできたのだけれど、じゃあどこが好きなのかと言えば、まず思いつくのが
「伏線をさり気なく仕掛けて、それを丁寧に拾って回収していける所」
元々漫画は好きだけれど、ああいう謎解き要素のある漫画はなかなか類を見ない。
そして私は、殺人事件ものの推理小説は苦手だけれど、進撃の巨人で人がボコボコ死んでいくのは苦手ではなくて、その違いはと言えば、
推理小説は、大抵事件の要因は、人間のイヤラシイ欲望が生んだ、一方的に誰か悪人がいて、大抵主人公が悪人を追い詰めていく、勧善懲悪の物語。
その、勧善懲悪で最終的に悪が暴かれてスカッとするところが魅力の一つでもあると思うのだが、私はあの、ドロドロとしたエネルギーがちょっと苦手で。
進撃の巨人では、人が死ぬときベースに描かれているのは常に
「でも仕方がなかった」
それぞれの視点にはそれぞれの正義と事情がある。初めは完全悪だと思われた巨人にも実は、事情があったのだと、360度の視点から見た物語が展開していくのが、実際の現実世界とリンクしていくようで、そういう面も好きなのだと思う。
実は、私はミケがなぶり殺しにされた獣の巨人登場時が物凄く嫌で、獣の巨人マジ嫌いと思っていました(笑)
思えば超大型巨人と鋼の巨人が登場した時は、彼らは壁に穴を開けただけですぐ人間に戻っていて、人を能動的直接的に殺してる描写は無い。
女型の巨人も、調査兵を振り払うような殺し方をしていましたが、あれも目的遂行のために已む無くやってる感が出ていて、正体不明で謎な女型の巨人を憎く思う気持ちまでは沸きませんでした。
だから、私はあの巨人たちには漫画のキャラクターとしてそれほど感情を動かされなかったのですが、獣の巨人の、楽しんで人を殺している様子がとにかく耐え難かったのです。
私には、命を奪う事について、やむを得ない事もある。でも楽しんでは駄目だ。という気持ちがあることが明らかになりました。
特別に意識をしていた訳ではないですが、食物連鎖の中にいる以上、他の命を貰わずに生きることは、不可能だからなのかもしれません。
ビーガンでさえ、植物の命を貰ってますから。
人を裁く気持ちについて、そういう意味では『進撃の巨人』は、ハッとさせられる物語だと思う。
相手の事情も相手視点で描いていて、それが折り合わさって世界が形作られている。
人を裁こうとするとき。
相手には相手の世界観があるのだと言うこと。
その世界の見え方が、こちらからでは死角が多すぎて、実情がよく見えないだけなのかもしれないし、置かれた状況の違いで、違って見えるだけなのかもしれない。
漫画の世界だと切り離さず、日常に落とし込むことで、非常に深みのある物語なのだと改めて気がついたのでした。