それは義務なのだろうか
今日は、ふと食べたくなり
朝ごはんに、チキンライスのオムライスを作りました。
お子様ランチみたいなチキンライスができた😋
自分のために、手をかけて料理するのは好きだけど、
もしも私が主婦だったら、
自分の好きなときに好きなものを作れなかったら、
きっと料理は好きじゃなかったと思う。
お母さんが毎日のようにご飯を作ってくれる。
場合によっては、毎食用意してくれる。
それって、物凄いことなんじゃかろうか。
と、そう思った。
自分のためだけではない食事を作ること。
それは、義務なのだろうか。
家族それぞれに役割があるとしても、
そうだとしても、
それが嫌なら、ひとりで生きればいいのだ。
共に生きようと決めたとき、
そこにあったのは、愛なんだと思う。
お母さんが作るご飯は、義務じゃない。
そこにあるのは、愛。
愛だから作っている。
だけど、いつの間にか
世間 や 常識 は、
それを義務にすり替えた。
義務だから、作りたくないんだ。
義務にされてしまったから、悲しくなるんだ。
お母さんのご飯は、愛なんだ。
誰かが作ってくれるご飯は、すべて愛なんだ。
ご飯は原則自分で用意するもの。
誰かにご飯を提供するのは、愛の贈り物。
それが常識になった世界では、
ご飯を作るのが負担になる人は、きっと居なくなる。
そしてきっと、本当はそれがご飯の真実なんだ。