柔軟剤のにおい
すれ違う人から、強烈なにおい。
思わず息を止める。
当の本人はお洒落をして、魅力的な自分を演出しながら歩いている。
これは例え話だが、日常にそんなことがある。
その強烈なにおいが体臭であれば、一瞬ウッと思って終わりなのだが。
香水や柔軟剤のとき、得も言われぬ気持ちになる。
何故、わざわざそんなにおいつけた?
本人は、いい香りなんだと思ってる。
もちろん、ほんのり香る程度ならそれは、中々いいにおいなのだ。
でも、3m先から漂わせることはないだろうと。
近寄りがたいこのにおい。
人払いしたいにしても、縦横無尽にやるのやめて。
初めは、ほんのり香らせていたのかもしれない。
でも、常にその中にいて、どんどん鼻が麻痺していく。
次第に付ける量が増えていき、やがてにおいの発信源になる。
自分は良かれと思ってる。
悪臭ではなく、良い香りなのだと。
素敵だと思ってる。
だけど、無臭の人からしたら、とんでもないにおいを発している。
そんなことが、心の世界でも起きていることがままある。
そして、私もやっていた。
お香を焚きしめて、風雅な平安貴族を気取っていたら、めちゃくちゃお線香臭い変な人になっていた。
比喩して書いているけれど、心の世界でそんなことをやっていたのだ。
その時は、良いと思ってやっていたから、香水や柔軟剤のにおいがすごい人のことが分からなかった。
もう、自分のにおいで鼻が麻痺していたからだろう。
だけど、そのことに気がついてお香を焚くのをやめてみたら、柔軟剤のにおいが耐えられなくなった。
余計なにおいを嗅がないことで、嗅覚が鋭敏になったから。
そのことに気がついたときに、今までの自分の姿を客観的に見られるようになった。
柔軟剤も、香水も、お香も、どんな香りかは五十歩百歩でしかなくて。
そのどれもが、本来は要らないものでしか無かったのだということを。