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「映画だったら省かれる」ようなシーンを溢さずに、大切に言語化する永井玲衣になりたい
友達には読んでほしくないのだが、私は人にあまり興味がない。自分自身には興味があって、自分の内面に深く潜り、分析したり言語化したりするのは好きなのだけど。これは学生の時もそうで、特に、誰と誰が付き合ったとか、誰が誰を好きとか、そういうよくある話題に正直全く関心がなかった。どうでもいいな、と思いながら聞くことが多々あった。大人になってから、友達が結婚しても、パートナーとどうやって出会ったのかとか、どんな人なのか、とかにも正直興味が持てない。元気にしてるかな?くらいは思うけど、詳しく近況が知りたいとは思わない。相手は私に質問してくれるのに、私は答えるだけになっていることがよくある。相手に申し訳ないし、私って薄情だなと思う。
人に興味がない私ってなんかクール、という気持ちがゼロかと言われるとそうではないと思う。けど、どちらかといえば人に興味が持てない、というのは私にとってコンプレックスだ。人に興味がないから、質問ができずに会話が続かない。こういう文章を書くのも、人に興味がないが故に、幅が狭いように思う。だから、学生の時から「質問」ができる人に憧れているし、趣味が「人間観察」の人にも惹かれる。どうしてそんなに人に興味が持てるの?
永井玲衣さんとの出会いは「水中の哲学者たち」である。スタバ併設の蔦屋書店で、タイトルに惹かれ、最初の章だけその場で読んで、これは面白そうと思って購入した。本当に買って良かった、出会えてよかった、と思うほどに素敵な本だった。今回は「世界の適切な保存」を読んだ。同じ人が書いているから当たり前なのだが、前作と同様に、彼女は所謂「無駄」と思われるような些細なこと、彼女の言葉を借りると「映画だったら省かれる」ようなことを、逃さずにしっかりと捉えているのだと思う。彼女の紡ぐ文章には共感したり、納得したりするところが多い。烏滸がましいが、似たような世界の見え方をしているのかもしれないと思う。私が感じていたことを、彼女は言語化している。いや、彼女が言語化してくれることによって、私はそのように感じていたのだな、と気づくことができると言った方が正しいか。そんな彼女に対して、烏滸がましいのは承知の上だが、尊敬もあり、嫉妬もある。友達になりたい気もするし、彼女自身になりたい気もする。彼女に、憧れている。
私のような人は決してマイノリティではないと思う。実のところ、本当はみんな、自分以外に興味がないのに、興味があるふりをしているのかもしれない。でも、少なくとも、永井玲衣さんはそうではないと思う。人というものや世界に興味があって、真摯に向き合って、「映画だったら省かれる」ようなシーンを溢さずに拾って、思考して、言語化しているのだと思う。かっこいい。私もそうなりたい。私も、溢れていってしまう世界のあれこれを捉えて、言語化してみたい。とりあえず、人間観察から始めてみようか。