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無知を悔やんで涙したあの頃の自分へ~星を掬う(中公文庫)~

 自分の無知に気付いて、泣きそうになったことがある。

 教員をしていたこともあり、自分で言うのもどうかとは思うが、人権意識は高い方だと思う。中学生の時には、担任に「善悪の判断がきちんとできる」と言われたし、それが教員を目指すきっかけにもなった。同じ頃、学校で障害者差別について学んだ時のこと。隣の席のやんちゃな男の子が、私の障害者差別問題への正論(たぶん差別してはいけないとか、当たり前の、よく言われるようなことだったと思う)に対して「そんなん言ってるけど、実際に会ったら差別するくせに」みたいなことを言った。その時も、担任が「〇〇(私)のほうが、お前より絶対人権意識は高いと思うし、ちゃんとすると思うけどな」とフォローしてくれたりした。私は、その男の子の言うことももっともで、口で言うのは簡単だけど、実践しないと意味がないということに気付かされたので、真摯に受け止めた。
 小学校低学年の頃のこと。今で言う特別支援学校の児童との交流の時のことを思い出していた。ソフトバレーか何かをしていた時に、特別支援学校の男の子(たぶん自分より学年が上だったと思う)に足を踏まれてしまった。体も大きく、まともに踏まれたので痛かった。それを男の子にどう伝えて良いかわからなかった。私が泣きそうになっていると、同じ班にいた高学年のお姉ちゃんが「大丈夫?怖い?」と心配して声をかけてくれた。私は小さく頷いた。その後のことは忘れてしまったのだが、その時「怖い」と思ったことに対して、長年悪いことのように感じていた。それもあって、中学生の時のやんちゃな男の子の一言は、私には真摯に受け止めなければならない言葉だと思ったのだ。
 身近な障害者を通して、見たくない社会の現実を目にしたこともある。私のいとこの一人は、目がほとんど見えず、知的にも障害を抱えている。私が高校生か大学生の時、いとこ家族と一緒にショッピングモールで食事をした時のことだ。食事自体は楽しく終えたのだが、店を出た後、いとこが大きな声を出しながら、歩いていた他のお客さんに近づいてしまった。子ども連れのお母さんだったように思う。その時、その女性は子どもに「こっちに来なさい」と言いながら、子どもを私のいとこからかばうように自分のほうへ引き寄せた。その時の、女性の目が忘れられない。どうしてあんな目で見られなければならないんだろうと思った。一緒にいた、いとこの母であるおばの気持ちを想像するといたたまれなかった。それと同時に、その女性の「怖い」と思う気持ちも理解できた。私も小学生の時に障害者を「怖い」と思ったことがあったからだ。でも、私はいとこを「怖い」とは思わないし、そのいとこをあんな目で見るなんて、と悲しみや憤りの気持ちがあった。その時「知らないから怖いんだ」と身をもってわかったのだ。私はいとこの普段の様子を知っているから、危害を加えようと思って近づいたのではないことがわかる。あの女性は知らないのだから仕方ない。でも、間違いなくあの目に、おばや私は傷ついた。今振り返ると、その時から「無知は人を傷つける」と意識するようになったのだと思う。

 教員になってからは特に、知らない間に生徒を傷つけているかもしれない、ということが怖かった。いつも慎重に言葉を選んで話すようにしていた。例えば、学校からのプリントを配布する際に「お母さんに渡して」ではなく「保護者に渡して」というように気を付けていたり、生徒全員を「さん」呼びしたりしていた。人によってはそんなことよりもっと気を付けるところがあるという意見もあると思うが、私は自分が気付ける範囲で、必死に人を傷つけることのないように頑張っていたと思う。

 ある時、人権についての教員研修があった。その時、自分のアイデンティティを象徴する言葉だったか、所属しているものだったかを書き出すというアクティビティをした。私は「女性」や「教員」などを書いた。その後講師が『今書いてもらった言葉に「健常者」や「〇〇(具体的には忘れたが、いくつか挙げられた)」と書いた人は少ないと思う。恵まれている人は、その恵まれているという前提に気付けない。』というようなことを話された。私は母子家庭で育ったこともあり、両親がいるのが当たり前の発言に傷ついたことがある。それと同じようなことを私もしていたかもしれない。職場で、しかも勤務中にもかかわらず、ほとんど泣いていた。人権意識を高く持って生きてきたはずなのに、ここで「健常者」と書けなかった自分には、気付けていないことがたくさんあるのだろうと思った。自分の無知によって、これまでに人を傷つけていたかもしれないという可能性は、私にとってはとてもショックで恐ろしいことだった。


 これまで町田そのこさんの名前は「52ヘルツのクジラたち」で知っていた。しかし、虐待を扱っている作品ということで、気持ちがしんどくなりそうだと思い、読めていなかった。でも、やはり読みたい気持ちがあり、勇気を出して読んでみようと思ったのだが、本屋にて先に『星を掬う』に目が止まり、手に取った。今まで読むのを躊躇していたのを後悔するほど良い、繊細な表現をされる作家さんだった。

 主人公である千鶴の成長に胸を打たれた。
 最初は千鶴に対して同情しながら読んでいた。しかし、千鶴の恵真への発言に対する、結城の言葉にハッとする。

君がさっき恵真に言ったことは、弱者の暴力だ。傷ついていたら誰に何を言ってもいいわけじゃない。自分の痛みにばかり声高で、周りの痛みなんて気にもしないなんて、恥ずかしいと思えよ。

-出典:星を掬う (中公文庫 ま55-2) / 町田そのこ [147ページ] より

 この台詞は「無知」を非難する言葉だと思う。いや、「無知を」というより「無知であることに気付かず、人を傷つけること」を糾弾している、が正しいか。この台詞を見た時、あの人権研修で自分の無知に気付き、泣きそうになったことを思い出した。
 その通りだ、と思う。でも、千鶴のどうしようもなさ、どこにぶつけて良いかわからない気持ちもわかる。
 物語後半の、美保の彩子に対する発言は、千鶴の聖子に対するものと同じような内容なのに、より一層幼く聞こえる。その時千鶴が、自分も美保と同じように結城から見えていたのか、と気付く。読者である私も、美保の彩子に対する発言はあまりにも幼稚で、そしてそれは千鶴も同じだったのだ、と彼女と一緒に気付く。
 それから千鶴は、幼い頃に傷ついた心に折り合いをつけ、成長していく。その成長に、無知であることに傷ついた過去の自分も救われる気がした。


 「無知」であることは仕方がない。誰にだって知らないことや気付いていないことはあるのだから、それを責めることはできないと思う。でも、それは人を傷つけても良い理由にはならない。「無知」であることを自覚し、知ろうと努力すること。それが大切なのだと思う。
 本は、自分の「無知」に気付かせてくれるツールのひとつだ。これからもたくさんの本を読んで、学んで、経験して、いろいろなことを知っていきたいと思う。まだ気付けていないことに、気付いていきたいと思う。きっとそれが、より誰もが生きやすい社会につながるはずだ。


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