”14年”のバスケ人生を振り返る
わたしは10歳のときから14年間バスケを続けてきた。
……14年。自分で書いていても驚くべき数字だ。
まず、それだけの間一つのことを続けてきた自分を褒めてあげたい。
よく頑張った。
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始めたきっかけは、あの伝説のバスケ漫画、「スラムダンク」を読んだから。
……ではなく。
当時憧れの先輩がいたから。
……でもなく。
「バレー部がなかったから」である。
わたしが通っていた小学校は2クラスしかなく、全校生徒300人ほどだった。当然部活のバリエーションも少ない。
・男女バスケ部
・吹奏楽部
・野球部
この3択。まさかだった。
「絶対バレー部にはいる!」というわたしの意気込みは一瞬にして崩れ去った。
とはいえ、4年生になったら部活に所属しなければならないと決められていた。「ボールも同じくらいの大きさだし」と自分を納得させ、バスケ部に入部したのだ。
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これは自慢ではないが、「最初からうまかったんでしょ?」とよく言われる。
結論を言うと、本当にそんなことない。
むしろ入部した同期の中で、一番下手でセンスがなかった。
「ピボット」(片足を固定し、もう片方の足を動かす)という足の使い方もままならず、3歩どころか10歩ぐらい歩いたこともある。
(バスケではボールを持って3歩以上歩いてはならない=トラベリング)
シュートを打つ時もボールがゴールではなくなぜか真上に飛んでしまっていた。
嘘だと思う人もいるかもしれないが、残念ながら本当の話だ。
それでも、バスケを続けたのは
超がつくほどの「負けず嫌い」だったからである。
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子供の頃から「できない」ことがあるというのが嫌だった。
ちょっとこれは苦手かもしれない、ということは事前に完璧な準備をしてから望んだ。できないことがあればできるようになるまでめちゃくちゃ努力した。
バスケに関してもまさにそうだった。
結果、同期の中で一番最初に試合に出られた。
始めて2年目の時にはある大会でMVPももらった。
そしてキャプテンになり、チームを引っ張る立場にまでなったのだ。
そこからは、バレー部に入りたいと思っていたのが嘘のように、中学、高校、大学とバスケ一筋になった。
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中学、高校のバスケは、今思えばいい思い出だ。
中学では優勝や県大会も経験できたし、高校では中学の同期と試合でき、楽しかった。
しかし、当時のわたしはとても苦しかった。
わたしは中学、高校共にスタメンではなかった。
単に実力がないだけでしょ、と言ってしまえばそうかもしれない。
でも、周囲からは「なんでスタメンじゃないの?意外」と言われ続けてきた。そんなのこっちが聞きたい。
先輩の代では同期の中でも早く試合にでていたのに、いざ自分の代になるとスタメンではなかった。いつだってシックスマン(6人目)だった。
ゲームの流れを変えるゴールを何度も取ってきていたのに。
悔しくて悔しくて、何度やめようと思ったか。
でもやめられなかった。
それほどバスケが好きだったし、チームも好きだったから。
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大学に入って、小学生ぶりにキャプテンをすることになった。
監督もいなかったから、監督っぽいこともした。
自分でチーム編成をしたり、ゲームコントロールをしたり……。
そこで気づいたことがある。
バスケは5人のバランスが大事だということだ。
スタメンは特に。
わたしのプレースタイルは、一言で言うと「アグレッシブ」。
切れ味のいいドライブ(自分で言うな)や、3ポイントシュートが売りだ。
中学の顧問からは「切り込み隊長」とよく言われていたし、高校の監督からは「何するかわからない」と言われていた。
正直なところ非常に扱いにくいプレーヤーだったと思う。笑
現にわたしも流れを変えたい時、(昔のわたしのような)癖のあるプレーヤーを投入していた。
そしてそんなプレーヤーは、観客の印象に残る。
そう考えると、わたしはチームの役に立っていたかなと思うことができた。
”スタメンだけが全てじゃなかった”と、恥ずかしながら大学生になって初めて思った。
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今はもう定期的にバスケをすることもなくなった。しかしテレビで見るたび、ちびっこがやっているのを見るたび、苦くも楽しかった日々を思い出す。
バスケはわたしにとって最高の青春であり、原点であった。