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チ。−地球の運動について−ではなぜ異端者を火刑するのか

絶賛放送中の注目のアニメ『チ。−地球の運動について−』。

まだ天動説が当たり前に信じられていた時代に、地動説を唱えた人々にスポットライトを当てた物語。

異を唱えた彼らが受ける罰にはどんな意味があるのか。

それをはじめとして、天動説と地動説にはどんな想いが込められているのかをこの記事では書いていこうと思います。



実はわたし自身、まだ『チ。−地球の運動について−』を3話までしか視聴しておりません笑

単行本もまだ1巻のみしか購入していないのでその後の展開も知らない状態ですが、
今回書きたいことは内容の面白さよりも、なぜ今このアニメが放送されて注目を集めているのかに焦点を当てていきたいと思います。

なのでネタバレもアニメは3話まで単行本は1巻までなので、気軽にお読みください!🙇‍♀️


絶賛放送中です!



この作品の世界では、
宗教的理由で禁止されている地動説を研究する人たちは ”異端者” と呼ばれ、
もし異端であることがバレたら罰を受けなければいけません。

1度目なら改心すれば許される。

しかし2度目ならば「改心できる余地なし」として拷問されたあと生きたまま燃やされる。

つまり火あぶりの刑で処刑されるという、地動説を追い求める主人公たちにとってはかなり厳しめの設定の世界観です。


舞台は15世紀のヨーロッパですが、
現実では異端尋問だったり、「地動説を研究していたから」という理由で処刑されることは、そう多くはなかったと言われています。



この作品を批判する声の中に
「歴史モノなのに事実と違うことを用いてを好き勝手描いている」
というのを耳にしました。

たしかに調べてみた限りでは地動説を理由に処刑されたのではなく、
別の理由だったり、いちゃもんをつけるためのアイテムとして使われていたようです。



ではなぜ『チ。』では地動説を研究していた異端者を火あぶりの刑にしたのか








火刑の意味


さっそく結論から言いましょう。

ずばり、異端者が火あぶりの刑に処されているのは、

現代の状況を風刺しているから


とわたしは考えています。


この作品の世界では「地球が宇宙の中心にあり、天が地球を中心に回っている」という ”天動説” が常識であるとされています。

天動説が当たり前。天動説が共通認識として世の中に定着しているのです。


そんな中、

「地球は宇宙の中心なんかじゃない!地球は太陽の周りを回っているだけだ!」

なんて ”地動説” を主張する人は異端だとみなされ罰を受ける。



しかしこの一連の流れは、天動説や地動説が正解なのか不正解なのかを除けば、
現実世界でもSNSなどのインターネット上でも起こっていることと非常に酷似しているハズです。


少しでも常識や当たり前からはずれた発言をすれば、すぐ四方八方から非難され炎上。

一度でもその場からズレたことをすれば白けた目で見られ、裏で「あいつはダメだ」と笑われる。


ここでいう常識は大衆思考同調圧力のことですが、
そんな世界でたった1歩でもはみ出してしまえば…


「いやいや、普通こういう場面ではこうするのが常識でしょ」

「どんだけ空気読めねぇんだよ」

「あいつと一緒にいるとこっちまで被害来る」


なんて目で見らてしまいます。


SNSに至っては、発信者に対してもっと直接的な言葉を投げらているでしょう。

炎上” と ”火あぶり” 。

異端だとみなされた者をあぶり出し、これが正義だと言わんばかりに罰する。


どこかわたし達が営みを育む世界とリンクするところがある、既視感を覚える設定ですね。






地動説を追う者たち


ではそんな中で地動説を追い求めた主人公ラファウは、一体どういう存在なんでしょうか?


1話〜3話での主人公のラファウ


作中、こんなセリフがあります。


怖い。だが怖くない人生などその本質を欠く


アニメ1〜3話で主人公として登場するラファウは、最初は「人生チョレ〜〜〜笑」と心の中で思いながら生きていました。

合理性を重視して物事を考えれば人生は上手くいく。

実際ラファウは周囲からもてはやされ、これから先の人生も怖いものなんてない。
これまで通り合理的に判断し生きていれば楽に進めると考えていました。


しかし趣味として探求していた天体の学習を禁止されたことにより、「合理的に」という合言葉に揺らぎを感じます。


そしてフベルトという人物との出会いをきっかけに地動説を知り、その美しさに魅せられます。


地動説の研究は禁止された異端行為。取り組むのは誰かどう見ても合理的ではない


ですが、ラファウの人生は地動説を研究することを決めた時から加速していく。


彼はアニメ第3話でこう話します。


死んで消えてもその人がくれた感動は消えない。

多分、感動は寿命の長さより大切なものだと思う。

だからこの場は、僕の命に代えてでもこの感動を生き残らせる



理屈。理論。合理性。教え。みんな。普通。常識。

それらが彼にとって上手く生きていくには正解だった。


でもそれ以上に感動が心を動かす理性のその奥がある。

それは死んでも代えがたいもの。



ラファウは地動説に出会ってからの人生でそう感じました。



直感を、感覚を信じて、身を委ねる。

「これがしたい」

「今のままではダメだ」

「本当は自分はこうなりたい」


そんな自分の声を聞かなければ、自分の人生は歩めない。

本当の意味で人生ははじまらない。



まるで彼の後ろ姿はそう語っているように見えました。






”地動説” で生きる



理屈ではなく「美しい」と思う自分の声、その直感を信じて歩むのは怖いことです。

ラファウが地動説について話したり追い求めるシーンに暗いところが多かったように、

保証もされていない暗闇を進み、人に非難され、時には炎上するかもしれない。


暗闇を進む前も、進んでいる時も、必ず不安が付きまとってくる。

それでも、自分の声に耳を傾け生きていったならば、

その姿はまた誰かの心を動かすはずです。



少なくともわたしはこのアニメを見て、

直感を信じて仮面を脱ぎ捨て、「怖い」がある人生を選んで歩む姿の方が輝いて見えました。


それは勇気がいることだし、簡単な道ではありませんが、
自分の中にある ”感動” や ”インスパイア” を信じて

周囲に動いてもらう ”天動説” ではなく、


自分から動く ”地動説” で生きていく。



そんな美しさと感動がある人生を生きてみようと思えました。






ということで、『チ。−地球の運動について−』の異端者を火刑する設定の意味と、
“天動説”と“地動説”の意味を考察して書かせていただきましたが、

なにも協調性を破棄しろと伝えたいわけではありません。



自分を押さえ込んでまで普通や常識に執着するような生き方ではなく、

現実にはびこった良くない常識や習慣に飲み込まれず自分を信じて生きてほしい。


理屈だったり将来の損得で周りを基準に生きるのではなく、

もっと自分を、直感を、感覚を感じて、そして従ってみる。

そっちのほうが怖いと思うこともあるけれど、なにより笑って死ねるくらいワクワクして楽しいよ!


というが少しでも伝わっていれば嬉しいです。



それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました🙌


あなたの人生が彩りある道になるよう願っています。


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