卒論を執筆してる時にふと思った事。
こんにちは。
ただ今、オハイオ州立大学付属図書館の一つでもある、18th Avenue Library四階の自習室にてこもりながら卒論を進めています。卒論を書いてる今も、ふと頭の中で思い浮かんだ事があったのでまとめてみたいと思います。
卒論のテーマは、トーマス・ソング(Thomas Song/Song Jae-dong/Hiroshi Kohara)と言う、1920年代に東京市で生まれ、大日本帝国の統治下に置かれていた大連市の日本人社会で育ち、戦敗後にアメリカ占領下の南朝鮮(大韓民国が国として成り立つ前)に逃げつつも、アジアの未来に絶望してアメリカに渡り、アメリカの高校と大学を卒業した後に米軍に入隊し(共産主義の疑いを掛けられたため)、除隊を期にアメリカ国籍を取得した、朝鮮ルーツを持つ方をケースとして、移民やアイデンティティ問題に関する研究をしております。
元々、トーマスさんとの「出会い」はオハイオ州立大学附属図書館にて、東アジア部門の史書アシスタントとして働いてて、2年前に新しいアーカイブ(トーマスさんのエッセイ等が入ったデータベース)が導入されるから、日本語、英語、中国語、韓国語を同時に処理できる唯一(恐らく笑)の学生として、オハイオ州立大学附属図書館のアーカイブ室でアーカイブの分類及び内容の整理に勤めてきました。調べていくうちに、トーマスさんも自分に似た、異文化世界で生きた経験があり、トーマスさんのエッセイにいつの間にか自分も共感できるようになりました。日本の様な、単一民族が全人口の多数を占めている国でずっと暮らしていると、「民族=国籍=血統=アイデンティティ」となりがちですが、僕の場合はトーマスさんと同様、違いました。自分の家族史や家族経歴についてはまたいつかまとめてから書きたいと思います。
今回伝えたいことは、卒論を書いているときに、トーマスさんをケースに研究していますが、実は自分への問い詰めでもあった、と言うことです。読み進めていくと、どんどん自分の心の中にもモヤモヤ感が溜まってきて、どうにかしたいけど何もできない感じでもあり、同時に親子関係などについても考えさせられました。
最後に、卒論の内容を少し載せます。
When Thomas was also forced to adopt a Japanese name according to the Soshi-Kaimei policy in 1938, he “was very pleased to adopt a Japanese name because for [him], Korea was his parents’ mother land that was extremely far from [himself].“ On the contrary, for U-heon and So who grown up as a Korean in Korean society, Soshi-Kaimei policy was a hard-hit to their identity. According to an essay by Thomas, “[U-heon] was very melancholy when he saw [Thomas] jumping around excitingly to adopt a Japanese name, and his sorrowful eyes remained forever in [Thomas’s] memory.”
Indeed, my parents had a wide connection to Korean society. However, for me, there was no friend to grow up with, and no connection to relatives. I tried to make friends with locals, but I wasn’t able to speak Korean. At that time, Korean people living in Korea treated me with obvious attitude of resentment. Although they grew up with the Korean language naturally just like breathing, they didn’t demonstrate any tolerance to diaspora grown up in different cultural environments. Korean society factually took over the attitude of not to respect the uniqueness that Japanese rulers had built. For me, a foreign-born Korean even had no opportunity to enter college in Korea.
今回の写真は、六本木ヒルズで撮影した東京です。
ではまた。