26歳の自分へ:人生約1/4を経過した所感
こんにちは。
9月24日付で26歳になり、人生100年生きれるとしたらもう四分の一が過ぎたことにもなるので、過去の25年間のについて簡潔に振り返ろうと思います。
思えば、この25年間は自分との戦いでした。幼少期から日本を離れ、日本語圏・中華圏・英語圏・韓国語圏と常に変化する環境のなかで、周りに追いつけるように必死で努力して駆け上がり、自分は誰だろう、どこに向かっているのだろう、という問いと向き合ってきました。
そして、親が幼少期から離婚、常に親がそばにいない、アイデンティティー問題、アイデンティティー問題が国際情勢にも直結、夢を目指して大学でずっと勉強していたものが自分の一番の強さを一番引き出せる物でもありながら自分を一番傷つけるものという矛盾、常に帰れる家(心理的な意味)がないという現実。一人一人違う人生を送ってきてので直接比較するものではないですが、「平均(ずっとおなじ国で育ち、両親がそばにいて、円満な家庭環境と友人に恵まれた人)」の人の数倍は苦労してきました。
しかし、この25年間は自分が向き合うべき課題とみっちり向き合い、最終的に向かう方向性が見出せた有意義な時間でもありました。言語面ではすでに基本的に4ヶ国語できるようになり、その内3カ国語を仕事で活用できるようになり、結構スキル面では有利になりました。方向性も、先生・教授になりたいという最終的な目標は変わりないが、歴史や国際関係を勉強するのではなく、マーケティングのスペシャリストになり、最終的にはマーケティング学の教授として世界一流の大学のビジネススクールで教鞭を取るようになりたいという目指すべき人物像が見えてきて、それを実現するために転職をしてさらに成長を実感できるようになりました。
また、自分は誰だろう、自分に合った環境や居場所、人間関係はなんだろうという課題にも回答が出ました。日本に戻ってきて約三年以上立ちますが、「日本は生活は便利で安心できて、快適。しかし、もっと上を目指す自分にやはり狭過ぎた」という自分で納得いく答えが出て、30歳までに再び生活拠点を英語圏に固定して、日本はあくまで遊びに帰ってくるところ、英語圏に自分の家と家庭を作り、将来の子供たちにも幼少期から多文化とマルチリンガルの環境で育って欲しいという方向性も決めました。そのため、日系の大手代理店から本社が英語圏にあり、世界最大手でもある広告代理店に縁があって転職し、そこでまずはフルで英語を使って仕事をする、顧客対応やPM、チームの管理、直接クライアントのニーズをヒアリングして自ら戦略策定と提案など多彩な仕事をこなし、海外に行っても雇ってもらえる、MBAに受かるぐらいのスキルと経験を積むように日々奮闘中です。
さらに、仕事時間が大幅に減って平日の夜も持てるようになったため、ワークライフバランスの改善、健康的な食事の意識、積極的に新しいコネクションを作りに行ったり、スポーや趣味ををルーティンに入れたり、恋愛でも出会いと別れを繰り返し、未熟な自分を反省しながら、気が合って将来は一緒に海外へ行けるパートナー、夢を応援しあえる仲間探しをするなど、人間関係でも日々精進しています。
同時に、今までの全てに感謝、そして、過去、今、そして未来の自分に携わってくれて、一緒に成長しあえた周りの人達全員に感謝です。ありがとう。あなたたちがいなければ、今の自分もない。
そして、過去の25年はとても充実してて、仮に今すぐ死んでもおそらく後悔はないぐらい素晴らしい時間でした。
最後に、26歳になった自分とこのノートを読んでいただいてるあなたへ、自分の決心の体現となるもの、すなわち自分のコアバリュー(ミッション、なりたい姿、価値観)を共有します。
改めて、過去25年の自分へ、お疲れ様、そして、誕生日おめでとう。
さあ、次なる高みへ、今日も一歩踏み出そう。