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中国現地中学での三年間

こんにちは。今日は土曜日で、友達と会う約束をしていましたが、友達が体調不良によりまた次回となり、一人で家にいながら、勉強する気にはまだなれないので、中国現地中学で過ごした三年間について書こうと思います。

その前に、僕が中学生生活を過ごした重慶市綦江区(チージャン、以下「綦江」と略す)について少し紹介します。綦江は祖父が生まれ育った町で、祖父母達は毛沢東政権時の文化大革命など色んな政治活動に勤しみ、最終的に綦江に落ち着きました。祖父母は綦江師範学校(教員を育成する大学)に勤め、教育心理学講師として授業を教え、祖母は後に学長として学校、及び綦江の教育界の発展に全力を尽くしました。定年退職した後も積極的に学生たちとコミュニケーションを取り続け、人望も厚く、何が困ったとこがあったら常に協力してくれる学生達の姿が絶えませんでした。祖父母が教えた学生達は今も綦江の色んな小中高校で教鞭を執る人もいれば、教育局のお偉いさんになった人達もいる程広い人脈を持っています。のちに、僕が現地中学に入学出来たのも祖父母の人脈、人望、学生からの絶対的な信頼があったからだと思います。

僕が中学生活を過ごした学校は綦江中学(http://www.qjzx.cq.cn)と言い、綦江では一番有名かつ優秀な教育資源が集う中高一貫制の学校です。僕の父と二人の伯父さんも綦江中学の卒業生で、卒業後三人とも清華大学に受かったことから、父と二人の伯父は「赵氏三杰」とも呼ばれてました。綦江中学創立百周年記念に合わせ、父と二人の伯父でお金を出し合い、学校構内に一本の木を寄付して、「赵氏三杰」の名を残しました。

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僕は2010年9月に入学して、2013/6までの約三年間を綦江中学で過ごしました。前にも少し触れた通り、祖父母の人脈と「赵氏三杰」の影響力のお陰で、広州日本人学校を卒業したてで、当時全く中国語の読み書きが出来なかった僕は無事に綦江中学に入学して、初2013级3班(3組)の一員として学校生活を始めることになりました。幸い、担任の先生でもある陶绍平(タオ・スアオピン、以下「陶先生」と略す)は祖父母の学生で、国語(中国語)の先生だったので、僕の事情をとても理解してくれて、初日から優しくしてくれました。

(今年の夏、綦江中学に戻った時の写真。左から数学担当の秦先生、僕、担任かつ国語の陶先生、英語担当の周先生)

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(学校構内の一角。2019年5月撮影)

#1  軍事訓練

入学してから最初にイベントは軍事訓練でした。中国語で「军训(Jun  一声Xun 四声)」と言い、中国のカリキュラムの一環で、中学校、高校、そして大学一年生に義務つけられてる訓練です。人民解放軍の兵士が学校構内に派遣され、各クラスが一人の教官と約一週間ともに過ごし、軍事パレードでも見かけるような編成を組みながらの前進(写真通り)の訓練から軍人の立ち方、布団の畳み方、腹筋、回れ右!、団体意識、どんな困難にも負けない強い意志等、物理面と精神面で「軍人らしさ」を色々教え込まれます。

中国語も聞き取れないから、周りの人の動きに合わせたりしてなんとか軍事訓練を終わらせましたが、僕、もしくは僕と同じ列の人達はいつも僕のミスで居残り訓練をさせられていました。例えば、教官が「回れー右!」と指示を出した後に、(教官が何を言っているのか分からないため、)一歩遅れて曲がったら、「おい!反応遅いぞ!」と叱られたり、編成を組む時にで足を上げるタイミングが合わなくて叱られた事もしばしばありました。

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(https://kuaibao.qq.com/s/20190706A0GYYG00?refer=spider)

#2  学校生活

軍事訓練を終えて入学式が過ぎ、正式に現地校での学生生活が始まりました。毎日のスケジュールは朝8:00から夜9:00まで学校にいて、毎日のように勉強漬けの生活を繰り返してました。1日に9限の授業があり、午前中に一時間目から五時間目、お昼休みの後に六時間目から九時間目、そして夕食。夕食が終わったらまた教室に戻り、7時から9時まで「晚自习(夜の自習時間)」を利用して今日の宿題を終わらせたり、復習予習をこなしてました。家に帰った後も少し勉強して就寝、という生活を三年間繰り返しました。

綦江は重慶市でも田舎の方にあり(今は重慶市のダウンタウンから新幹線30分程)、重慶市の人達は北京語よりも方言を使う人が多かったので、国語の授業を除いて、ほぼ全ての授業が重慶方言で行われていました。北京語も聞き取れないのにいきなり方言で授業をされても何も聞き取れず、最初の一ヶ月は授業中ずっとポカーン状態で、ノートもまともに取れませんでした。そのためか、中学1年から3年まで、ほぼ毎日のように休み時間を利用して授業のノートや宿題で間違えた問題を持って先生のオフイスに駆け寄り、授業で聞き取れなかった部分や理解できない点について先生に質問したり、間違えた問題の解答過程を聞く習慣を身につけました。一年目は毎日3−4回オフイスに入るほどでしたが、2年目からある程度勉強について行けるようになり、頻度は一日一回に減ったものの、先生によると、「この三年間、相原くんが質問を持ってオフイスに来ない日は1日も無かった」と振り返るほど先生とコミュニケーションを取り続けました。先生達の全面的な協力もあり、自分で勉強方法を築き上げた事もあって、おかげで授業にもついて行けるようになり、成績も300中トップ60まで這い上がる事ができました。やがて僕は先生達の「模範生」にもなり、自分のクラスのみならず、他のクラスでも「皆さんも相原くんを見習いなさい!彼は入学当時中国語も聞き取れなかったが、今では積極的に勉強に取り組み、君たちよりもいい成績を取れている!」とみんなの前で褒められる存在になって行きました。広州に住んでた時にハイレベルな英語を叩き込まれてた事もあり、英語に関しては入学時から学年トップを保ち、英語の先生の協力もあって、高校レベルの内容を習ったり、アメリカから洋書を取り寄せて読むなど自分なりに得意の英語をさらに伸ばそうと努力もしました。そのお陰か、学年で英語担当の先生達とは特に仲良く、他のクラスの友達に聞いた結果、他のクラスの英語の授業でも「3組の相原くんは中学生ながらもう高校生レベルの英語力を持っている!皆さんももっと努力しなさい!」と例に挙げられるほどでした。また別の機会に、勉強方法をまとめたいと思います。

当時、クラス内でもあまり真面目に勉強せずに、授業をサボって遊びに行く人や、喧嘩をする人、タバコをする人等も数人いたため、たまにクラスメート達が無許可で授業をサボった事が発覚して怒られると、毎日オフイスに通ってた僕が真っ先に密告者としての疑いをかけられる事も沢山ありました。その為か、一時的に仲良かった友達がどんどん離れていってしまい、常に一人で行動せざるを得なくてしましました。卒業する頃はきちんと「疑ってごめんなさい」と謝ってもらい、仲直りもできたので特におおごとにはならなかったのですが、それ以外はイジメなどもなく、交友関係も良好でした。

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(学食。2019年5月撮影)

ただ、綦江に引っ越して以来、辛いのは元々苦手だったのと、小学校六年間ずっと和食ばかり食べて来たので、来た当時は辛くない食べ物が無く、お菓子まで辛くする重慶の飲食には馴染めず、結局毎日家に帰って三食済ませる事にしました。

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(中学部の廊下。2019年5月撮影)

またいつか機会があれば書こうかなとは思いますが、中国の中学校・高校は恋愛禁止で、発覚した際には三者面談、全校生の前で批判される事も普通でした。英語の先生が最初の授業で「恋愛するな!勉強に専念しろ!」と何回も注意を促してたのは印象に残ってます。勉強にはかなり力を入れたものの、卒業するまで2回付き合ったとこがあり、どちらも進路の違いやその他の原因で別れました。

#3  パンダ的な存在

入学して半年経つごろまでは、「日本人が入学して来た」という噂が広まり、毎日のように教室の外に、僕を見に人が集まって来ました。(今考えたら上野公園のパンだみたいですねw。)中高一貫校で学生数も多かったから、毎日のように廊下が花火大会時のお台場みたいに混んでで、最初は僕もとても驚いていましたが、次第に慣れて来て、こういうコミュニケーションも次第に楽しめるようになりました。「よ、君がその日本人か!」「出身はどこ?中国語喋れる?」「なんでここにきたの?」「日本語喋って!」などの質問ぜめや、記者会見みたいに常に囲まれる生活も半年後は落ち着き、僕を一目見にくる訪問者達もかなり減りました。

また、授業中に「それでは、相原くんに日本語を教えてもらいましょー!」といきなり話を投げつける先生も最初は沢山いましたが、次第にみんな慣れて来て、2年目以来僕を特別扱いすることはなくなりましたが、落ち着いて勉強や友達と過ごす時間を作れたので自分的には「綦江中学のパンダ」よりは、「三組の一員で、ごく普通の学生」という扱いの方が居心地が良かったです。

#4  週末や運動会は友達とゲーム

綦江に引っ越す際に、日本から買ったDS, Wii、Duel Mastersなど色んなゲームも持っていったのですが、日本からのゲームに興味を持ってくれて、週末や運動会(種目があまり無い人同士)はゲームもよくしてました。例えば、中国の運動会は赤白と組みを分けることも無く、クラス毎にチームを組み、種目に参加する選手もほぼ先生と体育委員によって指定されます。したがって、普段から目立つクラスメートや運動が得意な人や色んな種目に参加させられますが、僕は運動は得意では無いので、運動会の時はあまり参加せず、他の人達とゲームばかりしてました。DSを二台学校に持っていき、順番で友達とマリカやロックマンなどを対戦して遊んでました。また、スマホに日本のゲームをいくつか入れて、みんなにパスドラを教えたり、将棋対戦もしました。

週末になるとうちに来て一緒に Wii Sportsやパワプロ野球なども満喫しました。クラスメート達にとって日本から来たゲームも新鮮で面白く、僕にとては友達と一緒に遊べるキッカケにもなるので、自分からも積極的に誘いました。

また、友達にも沢山中国のゲームを紹介してもらって、そっちにも時間を費やしました。4399.comから手軽に遊べるゲームや、赛尔号(http://www.4399.com/flash/seer.htm)というポケモンに似たオンラインゲーム、QQ飞车というレーシングゲーム、そしてLOLにも手を伸ばし、ある程度の課金もしました。

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(赛尔号,http://news.7k7k.com/content/20100706/10063.html)

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(QQ飞车,https://v.youku.com/v_show/id_XNDMzOTQ2MTQzNg==.html?refer=seo_operation.liuxiao.liux_00003311_3000_QfMVj2_19042900)

山あり、谷あり、辛いことも嬉しかったことも沢山詰まった中学時代についてある程度書いて見ましたが、どうだったでしょうか?中国の中学校生活について、そして自分について、少しでもお伝えできれば何よりです。

それでは、課題に戻ります。まだ。


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