応援団*の起源について
*ここでの「応援団」とは、「生徒・学生による伝統的な応援の精神を基調とした学校公認のクラブ」のことを一括して表現しています。
この記事で書かれていること
☑ 応援団誕生の経緯とその記録
☑ 早慶戦による応援団の近代化
☑ 新しい応援方法の確立と応援団の発展
応援団の萌芽
明治時代の旧制一高と三高の野球の定期戦[1]を応援団の出自とする説や、〈一説によれば明治36年、旧第一高等学校が横浜の外人クラブと横浜公園で行った野球試合に、当時の一高生が開通間もない東海道線の汽車で乗り込んで、応援を行ったのがそのはじまりであると言われている〉[2]など、応援団の起源には諸説ある。
ただし、〈すでに1890年代後半には、「聲援隊」、「應援隊」の呼称で応援組織が登場して〉[3]いた、との記述もあり、いずれにしても明治時代の学生たちの気風によって醸成されたものであることは間違いない。
明治22年(1889年)9月に一高の野球場が完成し、その翌年3月に自治寮が開寮した頃を回想した記録に、
る、とある。
ここから推測するに、この「野次隊」などと呼ばれた自然発生的な学生集団が、恐らく応援団の起源と考えられる。
応援団の誕生
一高に自治寮が完成して約1ヶ月後には、寮生たちの結束を高める絶好の行事が迫っていた。
注
[1]1800年代末期に、現在の東京大学教養学部などの前身にあたる旧制第一高等学校と、京都大学総合人間学部などの前身にあたる旧制第三高等学校の対抗戦が行われ、1906年からは定期戦も行われるようになった。当時は学校の名誉をかけて戦い、新聞社も大々的に報じていたと伝えられる。
[2]東京六大学応援団連盟OB会編『応援団・六旗の下に』(シュバル・昭和59年)102頁
[3]加賀秀雄・鈴本敏夫「旧制高等学校における応援団の組織化の実相とその歴史的役割について」(『日本体育学会第36回大会号』・1985年)85頁。
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