34○精神が段々と持たなくなっていく。
義母が、目が悪くなりだして、
車に乗れなくなり、
私は一人で、仕事、家事、子供たちの役員、子供たちの空手を全部こなしていた。
夫は、段々と家に帰ってこなくなった。
長女は、中学生になり、正道会館一般部に移っていた。
次女が、癌になるまでは、
長女は黒帯をしめて、
ジュニアコース。
一時間、時間を潰し、次女に
ご飯を食べさせてから、
長女の一般部の稽古、と
全てを一人でこなすことが出来なくなり始めていた。
中学生の長女を一人で、
小倉から電車で帰すのにも不安があり、
無理をしていた。
一般部の稽古の時間は20時から。
終わって帰って、バタバタ用意して寝るも、朝起きれないと
悪循環に陥っていた。
しかも黄色帯なので、稽古は毎日ある。
毎日は行けなかったと記憶しているが、
何より仕事が忙しくなり、
体力がもたなくて、仕事も休みがちになっていた。
正道会館は、しらばく休会させ、
家の直ぐ前にあった、四歳の頃に行っていた、空手道場に、二人で歩いて通わせる。
次女の傷はもう大丈夫になっていたし、
大地が選手コースを担当していたので、
館長に聞くと、「大地が良いならきて良いよ!!」
と言ってくれたので、長女が
大地に聞いて、週に2日、
白帯をしめて、
大地の道場に通わせ、
正道会館はやめた。
出稽古、といって、他の道場の子供たちと一緒に練習する日もあったが、大地が車で送り迎えしてくれていた。
大地の道場は、何帯から上で、
試合に出れる強い子供しか、選手コースには入れず、はじめは白帯をしめて、来る長女と次女は、
コソコソと何か言われてた様だが、そこの茶帯をバンバン倒してた為、それを学ぼうとする子供たちが
組手の相手に来てくれるようになったらしい。
私は、もうこの頃には、かなり体調が悪く、精神科も二軒掛け持ちして、薬を貰っていた。
その頃、子供達は猫を欲しがっており、余りにもしつこいので、
「黒猫ならいいよ!」と言ってしまったら、二人で必死に探し、
久留米の、捨て猫保護ボランティアの古賀さんと出会い、
久留米迄行き、始めてのペット、麗(うるは)を、譲って頂けた。
次女が中学生、長女が高校生の頃の事だ。
私は、犬は嫌いだけど、猫は嫌いではなかった為、
皆で可愛がった。
今でも古賀さんとは、メールのお付き合いしており、うるはの写真を良く送っている。