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美女を願って空の上
空の上でひたすら男女比を考えている。
日本の人口における男女比は、全体で見れば男性の方が5%多い。
しかし年齢別にみると、
65歳以下の人口については、女性の方が男性よりも多いのである。
それなのになぜ、私の両隣のシートにはおじさんが座っているのだろうか。
これは絶対におかしい。
統計学だか確率論だか知らないが、確実に何かが間違っている。
飛行機の座席は狭い。
ましてや3人がけの真ん中に座る以上、願わくば両隣には美女が座って欲しい。
いや、美女とは言わない。
年頃の女性で有ればよい。
少し良い匂いがしてくれたら最高だ。
そんな願いも見事に打ち砕かれ、私の両隣には見事におじさんが配置された。
これがオセロであったなら、挟まれた私は立派なおじさんなのである。
唯一の救いは、あの華麗な加齢臭がしないことだ。
そんなことを考えていたら、ある考えが頭をよぎった。
「私は美女を求めすぎるあまり、そのギラギラ感がかえって美女を遠ざけているのではないか」
飛行機において、隣におじさんが座るか美女が座るかという課題に対して、
ワイの努力が作用する要素はどこにもない。
つまり運なのである。
美女を捕まえて航空券を2名分買い、同行させた方がまだ努力のしがいがある。
運に任せる以上、願いとは残酷なものである。
美女キタ!隣に来い、来い、来い!頼む!!
あ、後ろのサルバドール・ヱビ氏の隣に座りやがった。
次こそ来い!
うわぁ!おじさんだ!
この落胆といえば、何ものにも変えられないショックになり得るのである。
この際だ。今後私は、おじさん来い!と願うことにする。
おじさんに当たることが圧倒的に多いことを鑑みれば、願いが叶う確率も高い。
願いが叶わず美女が来たとしても、
2時間弱の昇天タイムを味わうことができるであろう。
そう頭で決めても、いうことを聞かないのが心というものである。
いつまでこの苦悩は続くのだろうか。