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制服・校則は富国強兵向きなのかもしれない話

結局、「人はされたようにしかできない」ってことなのですが。

制服とも校則とも縁のない高校時代を過ごしました。

 校則は生徒手帳に書かれていたのですが、「登下校時の履物は靴または下駄とする」など、いつの時代のものかかわらない文章がそのまま残っているという、要するに実質的に機能していない校則でした(現在はさすがに改訂されている模様)。先生から「校則を守れ」と言われた記憶はなく、いろいろなシーンで「自分の頭で考えろ」と迫られたことをよく覚えています。
 制服もありませんでした。そもそも、中学校からかなりゆるい感じでした。制服のスカートだけ着ていれば上は何を着てもよいという、ファッション的にはかなり微妙なものでしたが。式典だけはブレザー着用だけど、それもかなりラフな感じ。ただし”禁止色”(なんか派手な色)が決められていました。あとフードつきの服もダメだったか。でも、着ていたからといって何かを言われることはなくて、ピンクのトレーナーにパーカーを羽織って登校したことがあったのですが、担任がニヤっとするだけでした。(あ、これは私が神経太かっただけか・・・)

 そんな中学・高校が当たり前だと思って過ごしてきてしまったので、基本的に制服はなくてもいいものだと思っているし、校則もなくしてしまえばいいと思っています。制服も校則も思考停止に陥らせるものだと思うから。でも、制服も校則もある生活をしてきた人たちにとっては、なかなかそこからは抜け出せないんだろうなと。人はされたようにしかできない。そんなことを感じるシーンがいくつかあります。

●校則の存在そのものは疑わなくていいのか?

 ちょっと話題になっている「ルールメイキングプロジェクト」。ブラック校則を自分たちで見直そうという活動、とてもいいなと思っています。が、「ルールメイキング」って、結局「ルール」が存在する前提なのか!!と(プロジェクト名称としてはキャッチーでいいと思ってます)。校則そのものの存在を疑うところから始めなくていいのか? おそらく、これから発生するであろう落とし穴は、ルールを作る(決める)と、作った側はそれを守らせたくなる、という点なんじゃないかと思います。そのときになぜそのルールが必要なのかが語れるのか。それなしに守らせていたらブラック校則と同じ。自分の頭で考えること・考えることをやめないことができないと、このループからは抜け出せないはずです。

●「制服の方がラク」は本当に思考停止ではないのか?

 制服は必要か否かの議論で、だいたい出てくる説がいくつかあるのですが、これもツッコミどころがいろいろあります。例えば「制服をなくしたらおしゃれをするようになってお金がかかる」。「制服を着る」が「おしゃれをする」に変わっただけで、「全員が同じことをする」という発想が変わらないままだってことに、気づいてなかったりします。制服がなくなっても全員がおしゃれをするわけじゃない。何を着るかは自分で考えるもの。もうひとつ、「制服がある方が何を着るか迷わなくてラク」もそう。確かにスティーブ・ジョブズはいつも同じものを着ていましたが、あれは自分で選んでます。制服は他人に決められた服。それを「楽」と言っていいのかどうか。

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 私の通っていた高校は旧制中学だったところなのですが、県内で同じく旧制中学だった高校は、だいたい同じように自由な校風でした。先生たちが生徒に「自分で考えろ」と言う。こういう高校時代を過ごして卒業して地元で教員になると、やはり同じように生徒に「自分で考えろ」と言う。「人はされたようにしかできない」は伝統をつくる、とも言えます。
※高校時代の校則にまつわる話はこんなのも書いていました。うちのクラスの担任も、地元では有名な自由な校風の高校の出身でした。

 その一方で。こうした校風の「弊害」とまではいいませんが、弱い部分があるとしたら、学力と部活かもしれません。地元の吹奏楽コンクールでは、旧制中学だった学校は、指導者の力量にさほど左右されることなく、いい成績を納める傾向にありました。ふだんから自分で考えることをしている生徒自身の方が、マネジメント力が優れているからだと思います。ですが、県外のコンクールでは太刀打ちできない。私立学校で力のある指導者が継続的に指導している学校の方が強いからです。学力面でも、学校が指導してがっつり勉強させている方が、進学状況がよかったりしているんじゃないでしょうか。

制服と校則、どちらも富国強兵ための手段だなぁと思いました。
兵隊も労働者も思考停止している方がよくて、何も考えさせずに働かせる。こうして日本は発展してきたのかも。でもこれが現代においていいことなのかと言われると・・・?

松倉由紀
キャリア教育コーディネーター・教育研修プランナー。1975年長野県上田市生まれ。静岡大学人文学部卒業。地元での就職に失敗(4か月めで退職届!)ののち、大手通信教育会社、人材派遣会社、コンサルティングファームを経て現職。キャリア教育の領域で教育プログラム開発と「しくみ作り」をする「企画屋」「クリエイター」であり「風呂敷たたみ屋」。2016年4月個人事業主から法人成り(株)ax-factory(https://ax-factory.wixsite.com/corporate)を設立。2020年京都造形芸術大学通信教育部(グラフィックデザイン)を卒業。デザインで学びをおもしろくします。
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