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川をひとりくだって行くのはよい【自動記述20250107】

 午後10時45分

 畳の上の二枚貝は生きていた。
 ぴったり口を閉じたまま石のように固まっていたから、
 塩水を作って入れてやるとちょっと隙間を開いて、
 開いた隙間からにゅるりと足を出した。
 水管も出した。
 そうしてパクパクやりだした。

 その貝がどこから来たのかわからない、
 あるいは天井から降ってきたのかもしれない。
 天井板の裏にたくさんの貝が巣食っていて、
 それがたまたま落ちてきたのかもしれない。

 外へ出ると、外は晴れている。
 外へ出ると、外は雨の時もあるから、これは僥倖である。
 外へ出たときに外が晴れていると気分がよい。
 しかし外へ出たときに外が晴れていないと、
 それはそれで意外な感じがしてよい。
 肩透かしを食らったような。

 雨が降っていると少し面倒だが、
 傘を差せばなんとかなるのだから憂うのには及ばない。

 晴れている外を歩いて川まで行くと、たいてい人がいる。
 一度も喋ったことがなく、
 今後とも喋ることがないであろう人が一人、
 二人、
 三人といる。

 そうした人々を尻目に川をくだってゆくのはよい。
 彼らはきまって川をのぼってゆく、まるでそれが定めであるかのように。
 川をくだることが禁忌であるかのように、彼らは川をのぼってゆく。
 だから自分は彼らと行き会うのだが、
 彼らと目線をあわせたことさえない。

 彼らはずっとうつむいていて、
 何か思いつめたようにひたひたと川をのぼってゆく。

 あるいは川をのぼるというのはそういうことなのかもしれないな。
 などと思いながら川をひとり下ってゆくのはよい。

 なぜだろう、
 思索が川の流れと一体になって、
 やがて大きな、
 途方もなく大きな何かと合一する気配が
 何かしらの良さをもたらすのかもしれない。

 そうしてひたすら歩いてゆくと海へ着く。
 だから思索は海へと流れ着いて、広がっていく。

 広がっていった思索はやがて浜辺で泳ぐ
 見も知らない人たちの
 肌に溶け込んで私と
 秘かな結び目を結ぶだろう。
 気づかないうちに、
 ささやかに。

 潮風に乗るようにして宙を泳ぐウミネコの
 真面目そうな顔を眺めているとよい。

 なにも知らないようでいて、
 すべてを知っているようなその首の動きが、
 瞳の黒さがとても良い。

 さて、部屋の二枚貝はどうなっただろう、
 増えているだろうか。
 増えていたら今夜は煮て食べようか。

 あれもまた、誰かの思索の流れ出した海によって育まれた
 誰かの結び目なのかもしれないと思いながら、
 私は定められたように川をさかのぼらずに、
 バスに乗って家に帰る。

 そうしてまるで初めてそこに入室するように自分の家に入る。
 そうしてすべてを忘れて、
 また初めからやりなおす。

 そうして私は二枚貝となって、
 家の天井裏で秘かに身を固め、
 口をつぐみ、
 長いながい夜を過ごすことになる。

 午後10時57分

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