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【書評】沼田真佑「影裏」
【影裏:沼田真佑:文藝春秋:2017:第157回芥川賞受賞作】
岩手に赴任した「わたし」と、その唯一の友人である同僚の日浅との関係が描かれる。釣り仲間として竿を並べる日々が過ぎ、突然会社を辞めた日浅は互助会の営業活動にいそしむ。それとなく疎遠になったり、また相見えたりしながら微妙な距離感のもとに付き合いを続けていくのだが、それも震災以降ぱったりと途絶えてしまう。
行方不明となった日浅の消息を辿ってわたしは実家を訪れ、父と子の確執を知る。
その他多くの芥川賞受賞作の例に漏れず、狭義の意味における「人間を描いた系」の作品、とは言える。しかしこれといったテーマ性がなく、どことなく掴みどころがない。
「p8:何か大きなものの崩壊に脆く感動しやすくできていた。」という性質のある日浅が、迫りくる津波を目前に逃げもせず身を任せるという光景は印象的ではあるものの、幾分わざとらしいキャラクター設定をおしてまで描き出している割には全体に暗示を投げるようなところはない。
書き方にしても、過去の回想なのか現在の描写なのかが判然としないようなところがあり読み進めるのに多少の難を覚えた。
主人公は男だが、付き合っていたという人物の名が「和哉」なので「?」となり、しばらく読み進めると「p53:別れる直前の夏だったか、性別適合手術を施術するつもりだと和哉が公言していたことを、わたしは思い出した。」などと出てくるから、そこで初めて「トランスジェンダーの彼女と付き合っていた」ということが明らかになる。しかし、非一般的なこの状況が特別物語に寄与するようなところがなく、扱い方はかなりあっさりとしている。
トランスジェンダーや震災といったデリケートな題材を「しれっと」出してくるところは本作の特徴と言える。
通常デリケートに扱われる物事を殊更大事として捉えることなく、当たり前のように描くという姿勢は却ってよい。たびたび感じる「状況の掴みづらさ」というのも、そうした姿勢の結果として捉えると折り合いがつくのかもしれないが、さすがに好意的に見過ぎだろうか。
ともあれ、この「しれっと」という雰囲気は本作の全体に底流しているように思われる。
物語の結末もこれまたしれっとしているのだが、多少の疑問が残る。仲良くしていた日浅が津波によって行方不明になった後、日浅の実家を訪ねると、父によって日浅が「犯罪者すれすれのとんでもない人間」であると明かされる。そこで唐突に物語が終わる。この奇妙なラストにはどうにも解せないところがある。
この世のあらゆる物事はつまるところ不条理なので、特別テーマ性のない作品を「不条理文学」と括ってしまうこともできはするだろうが、本作がそこまで不条理に徹しているかというと疑問がある。
出来事の経緯がありのまま描かれているという点には偏見のない自然な風合いがあり好意的に評価できるかもしれない。ただ、本作を読んで何かしら残るものというのがない。唐突で謎めいた結末に「?」が残存するが、それは微かな不条理の香りを匂わせたかと思うとすぐ立ち消え、結果として何も残らない。
謎だけが投げかけられており、その謎というのには具体的な形も色もない。
それはいいのだが、手放しに賞賛することはできない。
特に、本作最大の不条理が「震災」 なので、もはやこれを単純に「不条理」と呼ぶにはあまりに錯綜した観念があり、割り切ることができないのかもしれない。
「大きなものの崩壊に脆く感動しやすい」性質のある日浅が津波に飲まれるという鮮烈なイメージは、終盤の日浅に対する父親の奇妙な批評によって打ち消されているように感じられる。また自然な風合いを持つ作品全体の印象も、震災という題材によってどことなく恣意的なものと化しているように感じられる。
……といった具合に要素ごとに打ち消し合って角の取れた、印象の残らない作品になっているように思われる。