潜水士/浮上士【自動記述20250115】
午後11時10分
迷ったときに書くことのできる一文をあらかじめ見繕っておくことで、
それを書き物のファイヤースターターとする。
常にそこから始めて、
常に新しい景色を見に行く。
どれだけ遠くへ旅に出るときも、
最初の一歩は自宅の玄関から始まるように。
いや違う。
どれだけ遠くへ旅に出るときも、
最初の光景は自宅の天井から始まるように。
いや違う。
どれだけ遠くへ旅に出るときも、
私は私自身であらざるをえないように。
それから何かを飲み、
何かを食べ、
歯を磨き、
顔を洗って私はこれまで見たこともない一日を、
今この時初めて繰り広げられる一日を始めるのだった。
そうして私は常に今この時初めて繰り広げられる
光景のなかにいるのだった。
コツがあるようだった。
それは忘却なのだと初めは思い込んでいた。
今となっては、
それは現に今あるのだということに対する凝視、
ないし集中なのだと悟った。
悟ってから悟ったことを忘れ、
また悟りなおし、
また悟っては忘れることを繰り返している。
水面で顔を浮き上がらせ、
沈ませ、
また浮き上がらせながらようやく息をする
水難者のように。
そうして現実はときおり、
明滅するように明るくなり、
そして概ねは暗くなる。
暗くなった現実を明るくするためには呼吸が必要だ。
辺りを見回すと、
呼吸が必要のない人間が多く存在することに驚きを覚える。
彼らは首筋から鎖骨のあたりに不可視のエラを持っていて
それで非現実の世界から酸素を取り入れているらしい。
私も手に入れたいと思ったことがあった、
その不可視のエラを。
しかし今となってはそれを手に入れることが
すなわち死を意味すのだと直感している。
だからそう、
多くの人間はすでに死んでいる。
誰も何も言わないが、
死んでいる。
死んだ人間のなかで、
生きた人間が、
死んだ人間のふりをして生きるのは辛いと
初めは思った。
今ではそれは、
ある種の役柄であり、
ある種のギャグであり、
失笑すべき状況として受け入れることになった。
それよりほかに受け入れ方はない。
真面目に取るのはあまりに馬鹿々々しすぎるから。
そうして私は水面から浮き上がり、
真実の空気を肺に取り入れる。
そうして私は肺に満たした真実によって、
水中での生活をしばらく耐える。
また真実が必要だ。
ずっと真実が必要だ。
いつまでも、
これからも、
ただ真実だけが。
ただ真実だけがこの心臓から、
この細胞の一つ一つを活かし、
私を駆動させる。
私の身体を。
私の魂を。
だから私は潜水士となって、
この現実と呼ばれている仮想世界を生きている。
そのような自分を自覚することで私は浮上士ともなり、
そうすることでこそ潜水士でありつづけることができる。
この事実を知るものは、
自分自身を除いて誰もいない。
午後11時22分