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【書評】ベルンハルト・シュリンク「朗読者」

 あらすじ(ネタバレ)

 そうだな。簡単にあらすじを書くと。
 当時15歳だった主人公のぼくは、偶然知り合った36歳の女性ハンナと知り合い、恋に落ちる。学業の傍ら、彼女の家を訪ねては愛し合う日々。しかし彼女は、ぼくに別れを告げることもなく、唐突に引っ越してしまう。

 その後大学で法律を専攻していたぼくは、ゼミで傍聴した裁判で偶然ハンナを発見する。ユダヤ人が大量死した事件に関わっていた疑いで、彼女は告発されている。
 自己弁護を考えていないような彼女の振る舞いにぼくはやきもきしつつも、彼女の不可解な振る舞いの根底には「文盲であることを知られたくない」という恥の意識が根底にあるということを見ぬく。
 彼女が文盲であることを裁判長に進言すれば量刑は軽くなるかもしれないが、ハンナの意向には背くことになる――という葛藤を抱えながらも、僕はそもそも彼女に対する熱を失っていった。

 結局無期懲役の判決が下され、いつ出られるかもわからない刑務所暮らしに甘んじることになったハンナに対して、ぼくは、朗読のテープを定期的に送ってやるようになる。朗読は以前、セックスの前にせがまれて必ず行っていた二人の習慣なのだった。

 18年目に出所できることになったハンナ。
 他に身寄りも、連絡してくる人もいなかった彼女の出所に際して、付き添ってしばらく援助してやってほしい、と刑務所長の申し出がある。久しぶりにあったハンナは、本当はそんな年齢ではないはずなのに、老人の臭いがするほど老け込んでいた。

 出所の日。迎えに行くとぼくは、ハンナがその日自殺していたことを知る。ハンナのいた独房でぼくは、刑務所でのハンナの暮らしぶりを刑務所長から聞かされる。曰く、「p196:長いあいだ、修道院にいるような生活をしていましたね」。真面目に作業し、人望を集め、やがて人望から逃げるように太り不潔になり、人々を斥けることで「もっと孤独な庵へ、もう誰からも見られず、外見や服装や体臭などが意味を持たない世界へ引きこも」った、と。

 所感

 普段あまり読まないタイプの作品。
「罪」というテーマには敢えて読みたくなるほどのものがない、ように個人的には思われる。それは畢竟くだらないものだ、という直観がある。
 なぜだろう。
 ニーチェの影響だろうか? 
 いやむしろ、根底にそういう直観があったからこそニーチェを受容した、と言いたくなる。

 構造的な話をすると、恐らくこれは逆算して考えられた話だろう――ということを、裁判の話が始まった時点で思った。

「過去にユダヤ人の大量死に関わった人間の裁判を傍聴する主人公」という図がまずある。
 その被告人と主人公が過去親密な関係にあったことによって、主人公に複雑な罪の感情が生まれると仮定して、そこから逆算すると「年の差カップル」という構図が必然的に出来上がる。

 同年代だと「過去を隠す」ということに必然的に含みが生まれるが、歳の差があり、主人公がナチスドイツ時代を経験していないとなると、一章のラブラブパートと二章の裁判パートの対比がより鮮やかになるし、そこに生まれる葛藤なども異なるものになる。
 出版当時としても今日的な印象が強まる、という事情もあっただろう。
 同年代だと主人公自身がナチスドイツ時代の罪の意識を引きずっており、自らに重ね合わせる形でハンナを見ざるをえないだろう。
 しかし本作の設定の場合、そこには断絶がある。

 だからこそ、二章でぼく自身がハンナを「隅へやった」と称しているような、あの独特の、完全に切り捨てるのではないが親密とも言えない関係性に落ち着く。そしてその関係性が「ハンナの自殺」という帰結までの筋道を醸成している。

「ぼく」酷くない?

「完全に切り捨てるのではないが親密とも言えない関係性」というのは、実は一番残酷なものではないか。
 もとからの友人関係が続いているというのならいい。
 しかし過去何度もセックスに明け暮れたような間柄の人間で、かつぼくは法学専攻で裁く立場の人間だ。直接ではないが、立場上は「裁かれる者/裁く者」となっている。

 そして大学時代のぼくは、ハンナにそこまで肩入れしない。久しぶりにハンナに会えて喜ぶわけでもない。何も告げられずに去っていった(=捨てられた)というところから、ちょっとした恨みすら抱いている。
 他方でハンナとの蜜月の日々を完全には忘れられずにいる、というちょっと複雑というかどっちつかずというか、な状態にある。加えてぼくは法学を学ぶ学生でもあるし、裁判自体が「ナチスドイツ時代の罪を今裁く」という難しいものでもある。

 錯綜した状況から、再開を素直に喜ぶことができない状態が続き、学生であるぼくは「勉学に入れ込む」という体裁をとりつつも、ハンナの裁判に通い詰めることになる。
 当然ハンナのほうもぼくに気づいているのだが、二人が打ち解けて話をできる場面は訪れず、ほとんどハンナの自爆/自虐と言ってもいい形で、最終的には無期懲役が言い渡されることになる。

 朗読のテープをハンナに送り始めたのも、それから8年後のことなのだから、どうにも微妙な話である。ぼくはその間に結婚、子育て、離婚を経験しているのだから余裕がなかったとも言えるが、しかし妻との生活(性生活?)の影に常にハンナを見ていた。

そんなぼくが8年のブランクを経て急にハンナに朗読のテープを送りだしたというのも、考えてみれば残酷な話と言えなくもない。
 突き放しておいて急に親しみを見せる。
 しかもその親しみも不完全なもので、ハンナが望んでいた「手紙」も書くことなく、何のメッセージも込めない単なる朗読のテープを送り続けるだけ。そこには、「刑務所のハンナを少しでも慰めるため」という親切心というよりも、どこか利己的な意志を感じる、ように思われる。

 ……それは何だろう。自分自身と折り合いをつけるため、というような。
 ルーティーンのように朗読テープだけを送り続ける。
 文盲のハンナが苦労して書いた手紙が届いても、返事を書かない。
 ましてや会いに行くこともしない。あくまでも距離を取りながら、しかし一方では繋がりを保ち続ける。

 あまりに一方的な関係……都合よくないか? 刑務所暮らしのハンナがどれだけ助けを必要としていたか等、重々わかっていたのにも関わらず。で、自殺したらしたで泣くし。ちょっと身勝手すぎるのでは、という気もしなくもない。

 何が「身勝手」なのか

 身勝手。
 何が身勝手なのだろう。

 しかし自己目的的な親切というのは、良き親切とも言えるのでは? 
 逆に、相手を思いやった親切というのは、悪しき親切とも言えるのでは? 
 自分は「ぼく」の何が気に入らない? 
 煮え切らない態度が。

 うーん、かもしれない。好きなら好き、嫌いなら嫌い、はっきりしろ、と。お前のそのどっちつかずの態度のせいでハンナは自殺したのだ、と(まあそう読めるように作者は書いているのではあろうが)。
 しかも結婚して子どもも作っておきながら「ハンナが忘れられない」という理由で早々に離婚するし……。

 ハンナのほうはむしろ、己の罪を真摯に背負って、自己擁護もせず、なすがまま刑務所に入り、腐ることもなく、「修道院の暮らし」を18年間続け、そして自殺した。18年間の抑圧を甘受し、その後の自由を享受することなく死んだ。たった一人の縁であるぼくに何かを懇願することもなく、わずかな財産を遺族に残して死んだ。
 高潔、という印象がある。

 自殺の動機

 ハンナはなぜ自殺したのか。
 自殺の動機。
 単純に考えると「良心の呵責」ということになりそうではある。
 刑務所で「修道院のような暮らし」をし、自分を戒めてきたハンナが、恩赦により出所できたとしても、「そのような自由や楽しみを自分は享受すべきではない」と思ったのかもしれない。

 また他方で、そもそも生きる気力を失っていたということも考えられる。今さら社会に復帰したところで苦労ばかり多く楽しみは少ない、というのはまあ事実だろうし。

 上記したが、そこには「ぼく」の存在も当然無視できないだろう。ぼくのほうはハンナの出所に向けていろいろ準備していたわけではある。
 しかし……なんだろうな。ぼくも言っていることだが、あくまでも距離を置いた関係であればこそ、これまで一方向的ではあれやりとりが成立してきたものが、出所して距離が縮まるとその関係性自体も壊れてしまうという危惧はあるだろう。
 ハンナ自身が、出所したらもうテープは送ってくれないのか、とぼくに聞いていたように。当然、昔の状態には戻れないだろうし、ぼくの前に老いさらばえた自分をさらしたくないという思いもあるかもしれない。それにぼくに対する自責の念も、あるいはあるかもしれない。

「ぼく」の抱くハンナへの複雑な観念

 主人公のぼくからしたら、ハンナには単純な好ましさだけではない複雑な思いがあったのだろう。

1、「急にいなくなった(=捨てられた)」
2、「ナチス時代の大量死に関係した」
3、「彼女のことが忘れられない所為でその後の女性関係が上手くいかなかった」

 という三点が、ハンナへの否定的感情の原因だろうか。
 3つ目はちょっと逆恨みとも言える。が、考えようによっては歳の差21歳で、ぼくのほうは未成年なのだから、先の事を考えてというよりもその時限りの付き合いであることは織り込まれていただろうから、ある意味「遊び遊ばれる関係」だったとも言える――これが20歳と41歳だったら話は違うだろうが(当然、未来を考慮にいれない分より純粋な関係だったとも言える)。

 2に関して。そうだな。ありがちな話ではあるが、付き合っていた人が殺人犯だったとして「だましていた/欺かれていた」ということになる? それはおかしな話ではないか、と個人的には思うが。
 このような印象を抱く人間というのは、親しく接しているその人を、親しく接している当初から「潔白な人間」あるいは「自分のイメージ通りの人間」と思っているのだろうか。あるいはそう思っているからこそ親しく接することができているのだろうか。
 そうだとしたら、それこそ不純というものではないか。

 その人が過去犯した罪が判明した時点でその人への親しみが失われ、騙されたと感じるのなら、それはその人そのものを愛していたのではなく、その人の観念を愛していた、ということになるのではないか。

 もちろんそう簡単に片づけられないものではあるだろうし、観念を除いた「その人そのもの」などというものが果たして成立するのかは問うべき問題ではある。

 結びに

 どちらかというと、「主人公冷たいよね/ハンナ可哀そうだよね」という印象だろうか。ハンナはハンナで、成行き的に仕様がなかった、というような人生を歩んでいるように思われる。
 文盲ということから鑑みると、決して豊かな生まれではなったことが想像されるし、ハンナ自身が意志的に選び取ることのできる人生は相対的にかなり少なかったことは確かだろう。
 そして、ハンナ自身は人殺しに愉悦を覚えたり、人殺しを何とも思わないような人間ではなく、与えられた目の前の仕事をこなす、ある種真面目な人間ではある。ということを考えると、ナチスドイツという構造の犠牲になったとも言えるかもしれない。

 これが例えば、もっと積極的にホロコーストに関わっていた、というシナリオだったら話は変わってきそうだが、告発された罪からすると、半ば事故とも言える内容だし、ハンナ一人が悪かったわけではないように描かれてもいる(それをハンナ一人が罪を背負った、というのだから健気でさえある)。
 一章で見られたぼくに対する不可解な態度も、二章で明かされるハンナの過去を背景にすると納得のいくものとなってもいる。

 ただ、ぼくのほうがどうなんだろう。冷たすぎるというかなんというか。
 それが、後になって明かされたハンナの罪に対する反応しがたさ、というのであればちょっとどうなんだろう、というのはある。いや、ここには複雑な観念が絡んでいるので一概には言えないが。

 経緯からしたら、ハンナに捨てられてから女をとっかえひっかえしつつ結婚しつつ、の数年があった。しかしハンナのことが忘れられず、結局離婚してしまう。というタイミングでハンナに朗読テープを送りつけるようになる。
 うん、だからその時点ではもう、ハンナは無期懲役になっているし、どうしようもない状況になっている。
 本当にハンナが好きで、ハンナ以外の女では駄目なのだと早いことわかっていれば、裁判の時点で文盲であることを裁判長に伝えたりなどして減刑して、数年の契機を終えて出所したハンナとふたたび蜜月の日々を送る、というルートもあり得たかもしれない。

 ある意味ハンナのせいでぼくの人生は狂わされたわけではあるが、それについて「『ぼく』はハンナの(性的支配による)被害者だ」と断言するのはあまりにも、という気がする。ハンナだって意図してそうしたわけではないだろうし、拠り所を求めていたわけだろうし(むしろぼくよりもハンナのほうがより差し迫って拠り所を求めていたのは確かだろうし)。

 こんなのは答えの出ない問い、というか読み手の「世界観/趣味性」の問題なので、いくらでも語ることが出来るし決定的な着地点は存在しないだろう。
 このへんでやめておこうか。

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