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果実【自動記述20241227】

 午後11時19分

 見えない目でものを見て、
 聞こえない耳でものを聞いて、
 触れない肌でものに触れているうちに見えるようになり、
 聞こえるようになり、
 触れるようになる。
 語れない言葉でものを語るうちに、
 語れるようになる。

 しかしそれは結局のところ錯覚で、実のところ風が木々を揺らすざわめきや、波が砂浜へ打ち寄せるさざめきや、雷雲に光る雷のとどろきのようなものにも等しい。

 われわれは意志の疎通を図ることができ、そしてわれわれは意志の疎通を図ることができるという幻想のうちに生きている。

 季節外れのカタツムリが乾いたコンクリートの塀を苦労して登ろうとしているのをじっと見ているうちに、私の舌の表面がひりひりと乾いてくるのを感じる。
 そして目が。
 肌が。
 乾きが身体の表面に広がって、
 そうして私は世界との境目をより強く意識させられる。

 たまに見る果物は見たこともない色をしていて季節を問わず唐突に結実する。

 それは私に夢を見せる、ある種の夢を。
 そう、「これは夢ではありません」という夢を。
 素晴らしい夢を。
 悪夢にも等しい夢を。

 夢のなかの果実を食することでのみ、この夢から目覚めることができる。

 ずいぶん探した、そして見つけた、自分の部屋の棚の木材から枝が生え、そこになっている実を。

 メーテルリンクの「青い鳥」のような結末が常に潜んでいる。
 そこに至りつくには、やはり一旦遙かな旅に出なければならないのだろうか。

 面倒という一点のみが私の生に影を落とす。
 なぜそんなことをしなければならないのか。

 雲のように、
 空に浮かぶ雲のように、
 たゆたうだけの生を全うすることがなぜできないのか。
 そうしていつしか消えて、
 あるいは地に涙し身体を損ね、
 そうしてささやかな仕方で、
 恵みをもたらす仕方で、
 円満に消え去ることがなぜできないのか。

 何もわからないなかで、何がわかっているのかを一つ一つ指折り数える日々を送っていると、時折腹のなかを手でかき混ぜたくなる。
 臍から腕を入れて内臓をぐちゃぐちゃにかき混ぜたくなる衝動に駆られることがある。

 そんなときは夜の更けてからベランダへ出て、不毛な街の明かりをただぼんやり眺めているといい。

 街明かりが目に灯り、
 瞳に灯り、
 網膜に焼き付き、
 そうして私は街となる。
 地平まで続く建物の群れを地獄と見る私は街となり、
 だから地獄となる。

 地獄となった私自身が、それから深い眠りにつく。
 何度眠りについただろう。
 そうして何度、夢のなかの夢のなかの夢のなかへと入れ子式に眠り込んだことだろう。
 これは何重目の夢なのだろう。

 そんなことを数えることも忘れ、そんなことを数える発想さえ浮かばなくなったころに、いわゆる現実というものを私は生きるようになった。

 だから私は、無限の夢の牢獄に囚われて永久の眠りについた一つの存在であり、そうして私はこの世のすべての夢を生み出す根源である。

 そろそろ、いいかげん、なにかをどうにかしようかと思うのだがいつもいつもいつも眠気が訪れる。
 それは不可抗力的に、私の制御を超えて。

 だから私はふたたび眠りにつくだろう、そうしてわたしはここよりも一段階深い夢を現実と錯誤するだろう。

 それから私は現実を、ふたたび、なにごともなかったかのように歩むだろう。

 そうしてまた、それなりの時を経て気づくだろう、それが夢であったということに。

 そこですべてに目覚め、それから抗いがたい眠気がやってくるだろう。

 果実を探さなければならない、
 どこにいつ実るのかもわからない、
 あの果実を。

 この世のいかなる言葉でも言いあらわせない色と形をした、
 あの果実を。

 午後11時34分

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