77 暗がりを灯す黒いロウソク
黒いロウソクは明かりを灯すものではないと言う。では何を灯すものなのかと聞くと「暗がりを灯すのだ」とおおむね予期していた答えが返ってきたので、それ以上追及しなかった。
とはいえ暗がりをいかにして灯すのかと不思議に思われた。後に屋敷の一階倉庫奥の、蜘蛛の巣の張った棚の、三段目の薬瓶の並んだ裏から黒いマッチを見つけるまで、しばらくその時のことを忘れていたのだった。
頭も軸も、箱の色も黒いマッチ。なんとなくポケットに仕舞いこんでそのままにしていたのだったが、一人になれる機会をみては度々取り出して眺めていた。
そうして眺めているとどうしても点けてみたくなるもので、ある晴れた朝、陽のあたる中庭の薔薇の茂みに隠れて擦ってみた。案の定、辺りが暗くなる。なるほど暗がりを灯すというのはこういうことらしい。
それにしても屋敷の無数の燭台のそれぞれに必ずひとつ立てられている黒いロウソクに、一体いつ、どのような目的があって暗がりなど灯すのだろうかと、不思議に思われた。そんな疑問も忘れるほどの時を経て後、ここへ来て二十年来、一度も姿を見たことのない屋敷の主が来光する予定が立った。
主の到来を、古い使用人は来光と言った。
諸々の支度を整えてから前日、屋敷の全ての黒いロウソクに暗がりを灯した。晴れの日でも薄暗い屋敷のなかは闇夜よりも真っ暗になった。そして当日、深い森の向こうから、曙光のように夜を切り裂く光が現れた。太陽がそのままここまで歩んで来たかのような強烈な光だった。主の姿を初めて目の当たりにし、そしてなぜだか急激に興味が失われていった。
その時初めてわかったのだが、これまで主不在のこの屋敷でせっせと仕事をしてきたのは、主という存在の謎に引っ張られていたところが大きいらしかった。自分はこの屋敷の主が何者であるのかを知りたかったのだろう、そして見たかったのだろう。今となっては驚くべきことに、ただそれだけのことだったのだろう。だから、目的を失ってしまったのだった。
皆がどことなく浮かれたような、熱っぽい顔でこの時とばかりにせっせと立ち振る舞う様を、そばの崖上から眺めながら、自分はもうあそこへ戻れそうもないということをそれとなく悟っていた。
黒いロウソクに灯る暗がりによって和らげられているとはいえ、それでもなお強い光を浴びて、使用人たちの衣服は透け、皆裸に見えた。裸の女たちがせっせと立ち振る舞っているところを見届け、屋敷から持ち出した燭台に暗がりを灯した。
そして暗がりが示す道を慎重に歩き始めた。
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