映画「パラサイト」のジェシカについて思ったこと
今回のテーマは映画「パラサイト」
※ 最初に言っとくけどこの記事はとにかくパラサイトのネタバレを大量に含むのでまだパラサイト見てない人は閲覧禁止です。※
韓国人のホン・ジュノ監督が撮ったこの映画がアカデミー賞を受賞して、
アジアの映画、それも東アジアの映画が世界の頂点に立った!
私もこの時はとっても嬉しかったです。
で、久々に見返したんですけどこの映画の登場人物の「ジェシカ」魅力的ですね。
とてもいいです。
韓国映画に出てくる一重の目のクールビューティ、治安悪い系お姉様、ドMの私の性癖に刺さって大好きです!
物語の主人公達は、韓国の「半地下」と呼ばれる低所得層の物件に住む4人家族、キム家。
半地下、とは文字通り物件の半分以上が地下に埋まっており、成人した大人の目の高さの位置に小さな窓があるだけの格安物件である。
父、母、兄、弟の4人家族で全員が失業しており、時々4人で内職してお金を稼いで暮らしている。
この家族の、兄で浪人生のギウが、大学生の友人の助言で名門大学の学生と身分を偽り、その友人の紹介で、ひょんなことから超絶金持ちパク家のお嬢様の英語の家庭教師に抜擢されるところから物語は始まる。
IT会社社長、綺麗で人が良すぎる奥様、女子高生の娘と、小学生の弟。
絵に描いたような豪邸に暮らしてる大金持ちのパク家。
ギウは人のいい奥様をいいくるめ、妹のギジョンをアメリカ帰りの帰国子女「ジェシカ 」と偽り、弟くんの家庭教師として豪邸に送り込む。
さらに、父親は運転手として。
母親は家政婦として。
キム家の4人は次々と大金持ちのパク家にパラサイト、寄生していく…。
とまあざっとあらすじを書いてみたんだけど、
映画を見た人ならわかると思うんだけど、半地下の家族で、死んだのはジェシカ 1人。
でも、私はこの映画の中で彼女が死んだとき、
少しだけほっとしてしまったのだ。
なぜか?
今回この記事書きたいのはこの点である。
あの映画の中でジェシカは死ぬしかなかった。
なぜなのか。
このパラサイトという映画において、最初は金持ちのパク家への就職、寄生生活を手に入れたキム家の家族は楽しそうに暮らすのだが、
そのうち葛藤を始める。
特にギウはパク家の娘に恋をして、なんとか半地下側からパク家のような金持ち側に上がりたいと願うようになり、
父親は半地下の自分達家族とパク家の差、そして自分の立場と人としての尊厳について思い悩むようになる。
母親は良い意味でリアリストで、最初から半地下と自分と金持ちは違うものだと抵抗なく受け入れており、そのときその時の現実を淡々とこなしていく。
が、ここで私が注目したいのはジェシカ氏である。
彼女には、なんの葛藤もないのである。
ジェシカは、目の前に現れた半地下の自分とは対極にあるパク家の生活にごく自然に入り込んでいく。
そして私が彼女自身は自分が半地下の人間であるという現実を忘却し始めるのだ。
彼女のそんな挙動は映画を見ている我々に不可解な違和感を与えるのだが、その違和感に決定的な答え合わせをさせてくれるのが映画中盤のギウの台詞である。
パク家の息子の誕生日で、パク家の家族が全員で旅行に行き、家政婦であるキム家の母が留守番を任されることになった。
いつもは他人のふりをしてパク家でそれぞれ働いている半地下のキム家の家族は、
パク家が留守の1日限りパク家の住む豪邸を自分のもののようにして暮らすことにする。
芝生で寝転んだり、広いリビングでお酒を飲んだり、思い思いにやりたい放題するキム一家であるが、この時ジェシカ は何をしたか。
お風呂に入ったのである。
パク家の豪邸の美しいバスルームで泡一杯のバブルバスを優雅に楽しむジェシカの姿は他のキム一家の面々とは一線を画している。
ジェシカ以外のキム一家の面々は、各々が常日頃働いている豪邸でやってみたいことをやっている。
しかし、そこにはなんというか「やってみた感」があるのだ。
その行動や、やってることが完璧に美しい豪邸に溶け込んでなくてチグハグなのだ。
が、ジェシカ だけは違う。
バブルバスに優雅に使って、天然水を飲んでるのが様になってる。
まるで本当は半地下のキム家の人間なのではなく、豪邸の持ち主パク家の一員であるかのようだ。
このことに私たち視聴者の感じる違和感はさらに大きくなり、ついに弟のギウがその違和感を決定的なものにする一言を発する。
「ジェシカは、まるでこの家の住人みたいだ。
なんていうか、さっき風呂に入ってた時それがすごく自然だったっていうか、様になってたっていうか…」
そう。
それこそが我々視聴者が感じていた違和感だ。
半地下の住人だったジェシカは、
彼女自身も半地下と豪邸の境界が分からなくなってしまっていて、ときより己が半地下の住人であることを忘れてしまっている。
更に、物語が先に進み、
キム一家が半地下の自分たちの家に逃げ帰ってみたら、そこは洪水で大変なことになっていた。
半地下の物件は、読んで字の如く物件の半分以上が地下にある。
だからこそ地上で激しい雨が降ると道路からそのまま水が物件の中に流れ込む。
キム一家の家も例外ではなく惨憺たる状況になっている。
ここで、キム家の父親とギウは各自自分の大事なものを持ち出そうとしたり、なんとか浸水を防ごうとしようとしたりするのだが、
ここでのジェシカ の行動は2人とは全然違う。
唯一浸水してないトイレの上に座り、
ゆっくりと優雅にタバコを吸って見せる。
この映画屈指の名シーンだと思うんだけど、
ここでジェシカはギウや父親と違い、この事態を自分のこととは受け止めきれず、
タバコをふかしながら現実から逃避してしまっている。
また、さらにいうなら汚水に浸かりながら自らの半地下での生活のカケラをかき集め必死に守ろうとするギウやギテクと対照的に唯一汚水に使ってない高い場所に座り込んで何もしないジェシカの構図というのはすでに彼女がパク家の他の人物とは別の場所に位置していることを象徴的に描いているシーンと言えるのではないだろうか。
そして、避難所に移り、一夜を明かした後で
パク家の奥様から電話がかかってくるとこの表情である。
自分たちの家が洪水で大変なことになってることも知らず、誕生日会の誘いという呑気なことを言い始めるパク家に対して呆然とし、少しの怒りの感情すら抱くキム家の父とギウに対して、
このお誘いの電話にどこか安心したような笑顔を浮かべるジェシカ 。
ここから、ジェシカとキム家のその他の人の差は開く一方だ。
ギウと父親は、自分たちの惨状を露知らず、
浮かれて家族の誕生日パーティーの準備を進めるパク家の人々に対して鬱屈した思いと、諦め、葛藤していく。
ギウは、秘密裏に交際しているパク家の娘に、
自分はパク家の誕生日会に集う富裕層の人々にふさわしいか、溶け込めているかを問いかける。
キム家の父親は、自分の匂いを気にする様子のパク家の夫婦の様子に気づき葛藤を深めていく。
対照的にジェシカのそのような葛藤は一切描かれない。
描かれないままに、綺麗なワンピースをきて誕生日パーティーに現れるのである。
その立ち振る舞いは完全に富裕層の人々に溶け込み、アメリカ帰りの帰国子女のお金持ちのお嬢様そのものだ。
もうそこには、ネカフェでタバコをふかしながら書類を偽造していた彼女も、
半地下の部屋でWi-Fiが届く場所を探していた彼女もいないのだ。
ジェシカはどうなるのだろうか。
地下住人の夫婦をあんな酷い目に遭わせたキム家にハッピーエンドはありえない。
ジェシカもギウも、半地下と地上の豪邸の間にある境界線を越えることは絶対にできない。
だから、ジェシカはどんなに現実から逃げても、本物の令嬢のように完璧に振る舞ったとしても、彼女は半地下の人間だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
ジェシカはその現実を受け止められるのだろうか。
だから、地下室夫婦のグンゼにジェシカが刺された時、ジェシカは「ちくしょう…」と悪態を吐きながら美しい芝生に倒れ込む。
ジェシカは死ぬことができたのだ。
死ぬことで、半地下と地上の豪邸の境界線を超越し、令嬢として死ぬことができたのだ。
それはあくまで彼女の中でだけで現実ではないにせよ。
一度最上の生活に触れ、己が何者かという人間の芯を失った彼女にとって半地下に戻り、生活することは死ぬよりも苦しく、不可能なことに思える。
死は彼女とっては悲劇であったが、更なる悲劇を回避する唯一の手段であり、救済であったのだ。
だから私はスクリーンの中にジェシカの遺影を見た時、少しだけホッとしたのだ。
パラサイト、とても素晴らしい映画でした。
やっぱりいいものは何回見てもいいですね。
だが、私はソンガンホ氏の映画ならパラサイトよりタクシー運転手の方が好きなんだ!
みんな是非こちらも見てみてくれよな!
※こちらの記事は映画公開時の私の過去ブログでの記事を改変したものです※
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