名もなき中国のおばちゃん
「蘇州で日本語学校の送迎バスが襲われた。
日本人の親子が斬りつけられた」
というニュースが入って来た時、
でっかいため息をひとつついて、
「あーあ。やっぱりね!いつかこういうことが起きると思ったわ!」
と、吐き捨てるように独り言を言った。
私はコロナ前、大学を休学して1年間ほど中国に滞在して中国語を学び、今は中国関連の仕事をしているOLである。
私が滞在したコロナ前の時、中国はまさに経済絶好調で、14億人の人間が毎日毎日今日は明日より良くなると信じて、瞳をキラキラさせて暮らしていた。
そして、失われた30年という生まれた時から経済停滞期の日本で暮らして来た好景気を知らない日本人の私は、その中国の熱気に夢中になったものだった。
まあとにかく私は、この経済絶好調の中国に魅了されて大好きになっちゃったのだ。
このまま好きでいられればよかったんだけど、
コロナを機に2019年ごろから暗雲微かに立ち込め始めていた中国経済は転がるように真っ逆様に落ちぶれていった。
そして、コロナを機に中国は江戸幕府もびっくりなとんでもなく厳格な鎖国政策を開始。
コロナ対策を大義名分にじわりじわりと首を絞めるように少しずつ国民やそこに住む人の行動管理を進めていった結果、諸外国もドン引きするレベルのデジタル独裁ディストピア国家と成り果てた。
さて、私はというとそれでも中国への未練があってなんとか中国と繋がりたくて、中国のSNS抖音(tiktok)や小红书(インスタみたいなやつ)をインストールして中国の情報を得ようと試みていた。
しかしこれが良くなかった。
あくまで私個人の体感ではあるものの2021年の後半ごろから、「愛国」というものをキーワードに、激烈な日本やアメリカバッシングがネット上で始まったのだ。
日本人を殺せ
日本人を皆殺しにしろ
日本人の女はレイプしてもいい
目を覆いたくなるヘイトがネット上に溢れかえり、処理水問題でそれは激化していった。
何気ないネット空間でも、自分が日本人であるだけで信じられないような汚い言葉を吐き捨てられたり、
「日本人は中国人を殺した。どう責任を取るのか?」
と詰問されたりした。
コロナが終わり仕事の関係で中国に出張しても、
乗ったタクシーで日本人とバレると、
中国と日本の過去の戦争で日本の反省が足りないだの、日本人の女は男の足を洗ってくれるのかとか頓珍漢なことを言われて辟易したことも数えきれない。
こういうことが続くと、かつてはガンギマリ中国ラブな私もほとほと疲れ果てて中国から少しずつ距離を置くようになっていった。
言論の自由がない中国で日本人や日本にだけはどんな残虐な発信をしても許される。
そんな状態を野放しにしている中国政府に対しても腹が立った。
そして、snsに溢れる日本への憎悪やフェイクニュースを目にするたびに、いつかとんでもないことが起きるんじゃないかと思っていた。
今にネットで日本人や日本をバッシングするように、オンラインから出て来てオフラインで日本人を攻撃するような人間が出てくるんじゃないかって。
結局、最悪の事態が起きた。
日本人のバスを狙って日本人の親子が斬りつけられる事件が起きてしまった。
このニュースを聞いた時、心の中で決定的に自分の中にある中国への嫌悪感を自覚してしまった。
もう盲目的に好きではいられないと思った。
ずっと前からそうだったけど。
私がどんなにまっすぐ中国を好きでいたくても、私じゃどうしようもないところでメチャクチャになっていく中国に振り回されることにもう疲れ果ててうんざりしていた。
「あーあ。官民一体になって反日煽った結果がこれかよ。そりゃあんだけ嫌悪感煽ったら変な気起こすやつも出てくるやろ。ばっかじゃね。」
日本人の親子の安否は心配だったし深い同情があったけど、
中国や犯人に対しては私の視線も思いもどこまでも冷たくて、もはや怒りすら湧かなかった。
しかし、そんな冷たい無関心の気持ちにピキピキとヒビを入れる続報が入った。
犯人の男がバスに侵入しようとするのを止めようとした中国人の女性が亡くなったのだ。
この事件で唯一の死者になったのは、日本人の子供たちを守るために刃物を持って犯人に素手で飛び込んでいった、バスの引率の女性だったのだ。
この事件は当初中国での報道が控えられ、
言及する記事も次々と削除された。
この女性を、敵の日本人を助けようとした裏切り者だ。
なんで書きつける荒唐無稽な言葉も散見された。
そしてしばらくして、蘇州の市政府がこの女性を正しい行動をした英雄か何かに指定し、表彰を行ったという報道が流れてきた。
その報道に添えられたどこにでもいる「中国のおばちゃん」の写真。
そして、少しずつ分かってくる彼女の人生やどんな人物だったかの情報。
一つ一つの情報が視界に入ってくるたびに、
忘れてしまっていたいくつもの中国人の顔を思い出した。
私が一年を過ごした中国のとある田舎町。
食堂が奇跡的においしくなかったから、私はいつも外の市場でご飯を調達していた。
市場に生きる人たちは、良くも悪くも中国社会のど真ん中の、決して海外には出てこないタイプの中国人だった。
中国の農民が日本兵を倒しまくる抗日ドラマが流れている八百屋のおばちゃんに、自分が日本人だとばれないように恐る恐る果物を注文して買ってみようとしたけれど、
私の外国人なまりの不自然な中国語はすぐに見破られ、たちまち日本人だとばれてしまった。
おばちゃんを通して、市場全体に私が日本人であることは知れ渡ったけれども、
「おい日本人女、焦んな。ゆっくり注文しろ。」
「また桃500gかい?この季節はライチのほうがおいしいぞ」
相変わらず抗日ドラマは流れていたけれど、その市場の人たちはどこまでもテキトーでおおらかだった。
私が、財布を無くした時は村を上げて探してくれたし、そこら中に張り紙を張ってくれた。
(おかげで個人情報もばらまかれたがそれはないものとする)
私がよくわからない暴言を吐かれたときは、通りすがりのおばちゃんが私の代わりにぶちぎれてくれた。
私が電車の切符を買う列で割り込みをされたときは
「こんな若い女の子を押しのけて、切符を受け取ろうなんてこの恥さらしが!」と一括してくれたのは見知らぬ通りすがりのおばちゃんだった。
中国を旅行していた時、酸素ボンベを忘れて標高4600mの山の頂上へ乗り込むロープウェイに乗り込んでしまった私に買ったばかりの新品の酸素ボンベをくれたのも、
たまたまロープウェイで乗り合わせただけのおばちゃんだった。
私に酸素ボンベを渡しても、私のために割り込みをした大柄の中年男性にくってかかったとしても、
彼女たちにとって全くいいことなんてないのに。
本気で見知らぬ外国人の私のために怒ったり優しさを投げ出してくれた。
そんなおばちゃんがたくさんいたのに、私は忘れてしまっていたね。
目の前で困っている人を見たらほっとけなくて、
言葉は時に下品で野暮で、その親切は時に押しつけがましくて、ありがた迷惑な時だってあるけれど。
自分の人生を精いっぱい生きて、パワフルな有り余るパワーで周りにも思うままに自分勝手にどこまでも暖かく親切とやさしさを投げ出して振りまいて。
でもそれは確実に中国を見えないところで支えていて、平凡でおせっかいなおばちゃんたちこそが中国社会を動かして支えていた。
中国という国が元気だったのは、おばちゃんたちのはじける笑顔と大きな声と、純粋に衝動的に人を心配したり助けたりするプラスなエネルギーによるものだったと思う。
中国に行かなかったら。
ビジネスとか、SNSとかそういう表面的なものだけで中国と関わってたらそういうおばちゃんたちのことを簡単に忘れてしまうんだ。
彼女たちはビジネスの表舞台にも出てこないし、SNSにも出てこないから。
でも、彼女たちは確かに中国社会のいたるところにいて、そして今日も大きな声でおしゃべりしながら、日々一生懸命愉快に暮らしてる。
たくさんの人にやさしさとおせっかいをばらまきながら。
そして、蘇州で包丁を持った犯人に飛び込んでいったおばちゃんもきっと、そういう風に暮らしていたはずなのだ。
名もなき中国のおばちゃんたち。
長いこと忘れてしまっていた存在を記憶の底から掘り返されて、少しの間涙が止まらなかった。
英雄なんかにならなくてもいい。
彼女に明日も明後日もその次の日もあってほしかった。
呆然と心にぽっかりと穴が開いたような気持ちで、忘れてしまっていた暖かい記憶を抱きしめて彼女の冥福を祈ることしかできないけれど。
日本人として考えることや感じること、言いたいことがたくさんありすぎる事件だったけど私のどんな言葉もそれを言い表すだけの力も、表現力も持ち合わせてないから、
残りの言葉にしたい思いは今はまだ私の心の中に閉じ込めておくことにする。