ど素人がピカソ展に行ったら、アートへの思い込みの呪縛から解放された
なんかすげー経験したので聞いてほしい。
言葉にすると一気に
薄っぺらくなりそうで怖いが
言葉にして残したい経験でもあった。
ふと、明日は外に出たいなと思い立ち、
なんか美術展とかやってないかな〜と
Google先生に尋ねた。
なんとピカソが来ていることを知った!
(ピカソは来てない)
「ピカソか.......
死ぬまでには見ておきたいよな!」
くらいの感想しか浮かばない、
ピカソはゲルニカくらいしか知らない
アートど素人のわたしであったが
とりあえず速攻申し込み。
アート展、美術館はなんとなく好きで、
たまに足を運ぶが
楽しみ方は実際のところよくわかってない。
なんかすげ〜!絵うめぇ〜!
これ好きかも〜!
ん〜これはよくわかんねぇ〜!
まあ天才の考えることはわかんねえよな!
キュビズム?コンテンポラリー?
難しいこと言わないでくれ〜
絵だけ見て良ければ良くない??
ふむふむとわかったような顔をして
いつもこのくらいの感想しか浮かんでいないのが実際のところである。
あのピカソの絵を見るなら
ちょっとでも勉強しよう!と思い
昔見てよかった記憶のある
中田敦彦さんの『アートの見方』
の動画をとりあえず見た。
なるほど!
写真の出現までは、
いかにリアルに忠実に書くかが求められていた。
でも、カメラの出現により
リアルさも早さも敵わなくなり
いろんな画法が生まれたのか!面白い!!
そして立て続けに、
山田五郎さんのピカソの解説の動画を見た。
「ピカソは女が変わると作風が変わる」
これを聞いてみなさんはどう思うであろうか。
わたしの感想は多分みんなとちょっと違った。
「............耳が痛い。」
そう、何を隠そうわたしは
「男が変わるとファッションが変わる女」であった。(お恥ずかしい限りでございます)
スケーターと付き合うと
ファッションは一気にストリートに。
綺麗目なファッションの人と付き合った時は
よくジャケットを羽織った。
その変幻自在ぶりは、
友達にこう言わせたほどである。
「aoiってカメレオンみたいだよね(笑)」
これが嫌味だったのかなんだったのかは
この際関係がないので触れないことにする。
ファッションはジャンルがあるにせよ
なんとなく時代と共に変化する。
その上で当時の彼氏に大きな影響を受けた。
いや、まんまピカソじゃね?!?!
と、厚かましく烏滸がましい感想を持ち、
ピカソとの意外な共通項を見い出したわたし。
"天才は理解し得ない思考をしている"
というのがわたしの偏見で、
世の通説でもあると感じる。
小説やドラマの科学者や博士は
頭脳明晰でありながらも
意外と常識を知らなかったり
変なところが抜けていたりするキャラで
描かれることが多い。
こういったところから、
天才に対して理解することを放棄していた
自分がいた。
でも、ピカソとの共通項を見い出したことで
天才も人間なんだなぁ〜
と当たり前のことを思った。
ピカソの勉強もそこそこに、いざ美術館へ。
ネットで発行したチケットを見せ、
入ろうとすると
A4サイズ以上の荷物は預けてくださいと。
背負っていたリュックをロッカーに入れて
スマホとロッカーの鍵だけを持って入った。
入ってすぐ、作品のタイトル一覧の紙
があったのでおもむろに取った。
そこで気づいた。
今日の服、ポケット一個もない。
せっかくピカソを見るのに
手にはスマホ、鍵、紙を持っている。
女の服はなぜこれほどにまで
ポケットがない服が多いのか。
自分のコーディネートは棚に上げ
女の服のポケットの無さを恨んだ。
何度も落としそうになるし集中できなさそ〜
入ってすぐちょっと萎えた。
しかし、そんな心配とは裏腹に
すごい経験をした。
何から書けばいいのかよくわからない。
(これ以上引っ張るな早よ書け)
沢山あるので順を追って説明したい。
①解説は歴史の教科書
アート展には、よく解説が付いている。
わたしはこの解説が嫌いだった。
アート素人からすると、大部分が
意味のわからない単語で構成されており、
読まなければと思うものの
脳みそがこれ以上読まないでくれと
拒絶してくるのが解説というものである。
しかし、今回山田五郎さんの動画で
少し勉強して臨んだ為、
わかるぞ......!!わかるぞ解説が......!!!
と、進研ゼミでやったところだ!状態になった。
解説は歴史の教科書みたいなものだなと思った。
歴史の勉強って、
YouTubeで動画見たり漫画を見たりすると
面白いと感じるが
歴史の教科書からはその面白さは感じない。
それは人の心やわたしたちの共感できる出来事が
書かれてないからではないかと思った。
解説も歴史の教科書も
出来事、事実の羅列なのである。
詳しく出来事を学んだ
その奥の"人間"が見える人は面白がれる。
少し学んだだけで、
『ピカソ 青の時代』という
意味のわからない単語も
ピカソの人間が少し垣間見えて
初めて解説があることを有り難く感じた。
解説は「ど素人いびり」とすら思ってたが
そんなことはなかった。
美術館サイドは"わかる人"が書いているから、「事実の羅列だけでは伝わらない」
という気持ちがわからないだけかもしれないなと偉そうに思った。
②集中力
ふと気づくと、手には
スマホと鍵と紙を持っていた。
落としそうで集中できないなと思っていたが、
いつの間にか持っていることを忘れていた。
それほどに集中していたのだ。
わたしはHSP(繊細さん)で、
電車に乗っても、カフェにいても
周囲の人や雑音がすごく気になる。
手に荷物を沢山持って
集中できないかもと感じていたのも、
もし落として静かな美術館で大きな音を立てたら
という心配からであった。
しかし、凄まじい集中力であった。
絵を見ている時、そこには
ピカソの絵とわたしの目とそれに繋がる脳みそ
しかなかった。
そう感じるほど集中できた不思議な体験をした。
③第六感と絵のパワー
なぜそこまで集中できたか。
一番はピカソの絵のパワーだと思う。
ピカソの絵は
「ピカソのなにがいいかわからん」
「あんな下手な絵俺でも書けそう」
とか言われているのを目にする。
多分、そういう人は
生のピカソの絵を見たことない人が多い
のではないかと思う。
これは心霊スポットに近いと思った。
心霊スポットや事故物件に行った時、
なんか伝わってくるあの嫌な感じ。
第六感ってやつ。
霊感とかなくてもなんか感じるやつ。
心霊スポットの動画を見たときには感じない。
なんか来そう!とは感じるが、
それは編集のされ方だろう。
生のピカソの絵には
それに通ずるようなパワーがあった。
気付くと引き込まれている。
パワーが凄すぎて圧倒されそうになったが
負けじと食らいついた。
④動悸と息切れ
パワーに負けじと食らいついて
次の絵!次の絵!と夢中になって見ていた。
気付くとドキドキ、ハアハアしていた。
動悸と息切れがすごかった。
このまま酷くなったら倒れるんじゃないか。
パニック発作など起こったことはなかったが
ふとそんなことが頭をよぎった。
その時、一番に思ったことが
HSP(繊細さん)であるわたしらしく
「周りに迷惑がかかる」
「変なふうに思われたらどうしよう」
とかではなく
「この展示の続きが見れなくなってしまう」
であった。
一旦、冷静に、呼吸を整え、事なきを得た。
そんな状況になっても
この続きを見たいと思っている自分に笑った。
⑤シンプルと絵のうまさ
今回の展示では
「エッチング」と呼ばれる絵が多かった。
ど素人のわたしに解説させると
「エッチング」とは、ほぼ版画。
色も塗られていないシンプルな作品が多かった。
ゲルニカとか有名どころを見れなかったのは
残念かのように思われたが
むしろわたしはよかったと思った。
シンプル故にわかる、絵のうまさ。
ふと思ったのが
「無駄な線が一本もないな」ってこと。
シンプルな線で、色も塗らず、
描きたいものを表現するのはすごいなと思った。
⑦広がる妄想
夢中でどんな風に絵を見ていたかというと
妄想が止まらなかった。
ピカソとの共通項を見い出したことで
「あぁ、こんな風に書いてるってことはこの女の人に対してこういう気持ちだったんだろうな」
「こっちの絵には彼女の名前ついてて、こっちは女っていうタイトルになってるけど、わかるよ、ピカソこれもこの彼女のこと描いたんだよな」
とか偉そうにわかった気になった(笑)
ストーリーが浮かぶこともあった。
共通項がなければ理解を諦めてたと思う。
日常生活でもそうだが、
"諦めると脳は停止する"というのは
常々感じる。
わたしは特に経済についてのニュース等
自分には関係ない理解し得ないもの
として諦めているので、
何度聞いても覚えられない単語が沢山ある。
アートに対しても
そういった苦手意識が働いていたんだなと
認識した。
と、つらつらと長々書いてしまった。
ここまで読んでくれた人はいるのだろうか(笑)
色んな思い込みが一気に覆され、
とても価値のある経験をした。
入場料の倍の値段を払って
画集まで買ってしまった。
ピカソ ーひらめきの原点ー
2022.6.19までやっているそうです。
興味のある方は是非!
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