みんなそうだよ、と言われると
自分が迷っている時、背中を押してくれるような、何か気づきをあたえてくれるような、そんな言葉を求めたりする。
そしてあの人はいつも良いアドバイスをくれるから、とか思っていると、その人からは欲しいい言葉はやって来なくて、意外な人が言った一言が心に響く、なんてこともある。
「神様の用意したリュック」
それには
言葉がたくさんつまっていて
その人に一生のうち必要な
言葉たちが入っている
ふとした時に
人生の重要な局面で
神様は誰かに
その言葉たちを言わせる
そのリュックに
もうひとつだけ
入っているものがあって
それは
愛
なのだけれど
家族でも
友人でも恋人でも
夫や妻でも
自然でも人類でも
愛することが出来る
これはリュックに入っていながら
どんどん出て来る
不思議なもの
忘れてはならないのは
自分を愛することも
出来ると言うこと
そんな中、よく使われる言葉で、2通りの受け取り方をする言葉がある。
「みんなそうだよ」
その言葉が
励ましに聞こえる時と
突き放されたように感じる時
これ。
「みんな、そうだよ」
例えば、こんなことで悩んでてね、と話していて、
「でも、みんなそうだよ〜、そう思っちゃうのも無理もないよ」
と返ってくる感じなら、
「そうか〜、みんなそうなんだね」とも思えるけれど。
「わたしこうこうなんだよね」
に対して、
「え〜、みんなそうだよ〜。みんなそれでもなんとかやってるよ」
と返されると、「ん?」と止まってしまう。
そもそも、「みんな」って誰なの?
小学生もよく使う。
中学生も、高校生も、大人も。
例えば子どもの時、何か買って欲しいものがあると、
「みんな持ってるんだよ〜」と言いがちだ。
それでお母さんに、
「みんなって、誰が持ってるの?」
と言われ、
「え〜、クラスのみんなだよ」
と言うと、
「本当にクラスの全員が持ってるの?」
と返されてしまう。
みんな、そうだから、なんなの?
本当に、みんなそうなの?
お母さんじゃなくても、言われると心の奥の方で思ってしまう時がある。
ちなにみわたしの母は、みんなはそうでもうちはうち、という人だった。
わたしは、わたしの話をしているのであって、誰だかわからない「みんな」の話は関係ないのではないか。
でもそんなこと、もちろん言えないから、帰り道もやっとしながら帰る。
「みんな、って誰なの」
クラスのみんな、女性のみんな、独身のみんな、この世代のみんな。
ひとりひとり、違うのにね。
金子みすずの「みんなちがって みんないい」じゃないけど。
そして、決定的なのは「みんなそうだよ」と言われても、背中を押されることはないということ。
だって「みんなそうなんだ、そうか。でも、わたしはどうしたいんだ?」になるから。
今日は「みんなそうだよ」に対して、少し攻撃するようなことを書いたけれど、これが有効に使われるシーンもたくさんある。自分でも使うことがある。だから難しい言葉でもあるように思う。
最後に、少し前美容院へ行った時担当の方に、
「孤独感が強いんです。」
と打ち明けた。
あまりそういうことを言わないのだけれど、思い切って言った時だった。
その瞬間、わたしの隣で準備をしてくれていたアシスタントの子のお腹が、盛大に鳴った。
「す、すみません!」
と顔を真っ赤にして謝られたのだけど、わたしは大笑いしてしまった。
だって、
「孤独感が強いんです。」(ぐぅううううう〜〜〜)←ややかぶっていた
なんかそのお腹の音を聞いたら、孤独もなにも、すこーし離れたところから見えるように思えて、少し楽になった。
そういうのが、思いもしない誰かから受け取る言葉だと思う。
言葉じゃなくて、お腹の音だけど。
彼女の腹減りに、ありがとう。
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