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ばいばい、こうでなくちゃいけないわたし像

今の自分を、結構好きでいる。
病気もあって、大変なこともまあまああって、だからこそ今があると思える。
でも今の時点で人生を振り返って、一番輝いた日々は間違いなく「地球一周の船旅」で過ごした日々だ。

わたしは大学に入学後、体調を崩して中途退学をした。今考えると、その大学はわたしに合っていなかったし、その後美術専門学校で学べて本当によかったと思う。
でも、それは今思えるのであって、当時はそんな風には思えなかった。

どこにも属していない日々。
原因不明の心の不調もあり、かなり不安定な状態だった。通院していた大学病院の食堂が最上階にあり、そこでいつも母と話した。その時の主治医は、話をとことん聞いてくれる人だったので、待ち時間も長かった。答えもないような、漠然とした悩みに、母はよく付き合ってくれたと思う。

そんな日々が続き、ある時出会ったのだ。
「地球一周の船旅」に。

その旅の存在を知った時、直感でこれだ、と思った。
自分に今必要なのは、これだ、と。
そしてすぐ説明会に行った。ほとんどすぐに、行くことを決めた。

居酒屋さんなどに、ポスターが貼ってある船旅なので見たことがある方もいるかもしれない。
わたしはボランティアスタッフとして、そのポスターを貼ってくださいと、お店をまわるボランティアをやっていた。
その船旅は、「ピースボート」というNGO団体が主催していて、いわゆる豪華客船のクルーズ船の旅よりだいぶ安い。
でも、当時のわたしには大金で、ボランティアスタッッフをしながら、船賃を安くするということをしていた。

その事務局には色んな人がいた。これから船に乗る人の中には、学生、フリーター、年配の方もいて、たくさんのスタッフの方がいた。それでもそこにいるのは船に乗る人のほんの一部で、船には全国から乗ってくる。

船に乗る前から、わたしはそこに居場所を見つけたような気がした。
ちょうど同じ年の子と仲良くなってから、事務所に行くのが楽しみになった。同じクルーズに乗る人たちとも仲良くなり、一緒に事務所で作業をしたり、その後ご飯に行ったりした。

そんな何気ないことが、とても嬉しかった。

わたしの乗った船は、10月15日出港の予定だった。けれども、船のトラブルで3日遅く出港となった。
晴海埠頭から出発する船に乗り込む時、この船で約3ヶ月過ごすのかと思うと、わくわくと、不安も大きかった。体調のことを考えると、途中で帰ってくることも想定し、家族とも話し合っていた。
それが、乗ってしまうとどうにもこうにも、毎日が楽しくて仕方がなかった。わたしの身体や心は、海や空によって癒され、不調もなく弾けるように楽しんでいた。

そのクルーズは、18の国と(結果的に1カ国増え19になる)地域を点で結ぶような旅だった。寄港地に滞在出来る時間は、最大3日で、短いところだと1日だった。
それじゃああまり観光出来なくてつまらなくないか、と良く聞かれる。でも、船での生活自体も楽しいものだった。過ごし方は本当に人それぞれで、わたしは2つのグループに入って活動したりしていたが、何にもしないで部屋で過ごしたり、デッキで過ごしたりする人もいる。
年齢も様々で、10代〜30代が半分くらい、そして退職した後に乗られている年配の方々が半分くらいだったと思う。

その旅で、わたしはどんな経験をするだろうと思っていたが、それは悠に想像を超えていた。素晴らしい友達たちと一緒に過ごせたから、と言うのが一番大きかったと思う。
今でもその友人たちとはずっと繋がっている。

けれども、この船旅での一番の収穫は、なくせたことだった。


「わたし像」

船で世界へ旅に出ようとした
あのころ
わたしは欲しいものを
なにも持っていないのに
「こうでなければいけないわたし像」を
何体も持って旅に出た

重くて ときに
私を押しつぶそうとするその像たちを
置いていきたくとも
置いてくることが出来なかった

同室の子たちは
狭いベッドの脇に並んだ
わたし像たちを見ると
たくさんいるんだね
でもよくできてる
これなんて
あの女優に似てるね
などと言った

十九の点を線でつないでいくような旅
様々な文化の国
出会った人々
語り合える友達
広い海
ものすごい数の星

旅はこの上なく楽しかった
本当に、この上なんてないんじゃないか
というくらいに

船旅にすっかりはまったわたしは
ろくに自室に帰りもせず
わたし像のことを忘れて時を過ごした

帰港間近になり
荷物をまとめようというときに
わたし像がぜんぶいなくなっているのに
気がついた
同室の子たちに聞いても
知らないと言う

砂漠の国で降りたかもれない
南の島が気に入って住みついたかもしれない
海に飛び込んだのかもしれない
海賊に持っていかれたかもしれない

でもわたしのこころは
海のように広々として
楽になっていた

わたしがこの旅で得た
たくさんのものと同じくらい
わたし像をなくせたことは
大きな収穫だった

私家版ジャバラ本「The Voyage around the world」より

世界は広すぎて、知らないことがたくさんありすぎる、と言うことも知った。
わたしはリセットされたように、次の道へ歩き出す大きな力をもらった。
20年近く経った今でも、わたしの記憶の真ん中あたりで輝いている。

今年のコロナ禍で、ピースボートは危機に直面している。船を出せないのだから、当然だけれど、船を港に泊めておくだけでもお金がかかる。わたしのように、船旅のおかげで大きく人生の航路を変え進み出したように、その船旅を必要としている人たちが、出港出来る日が来ることを、心から願っている。



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