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聖書から読み解くビーガンとマクロビ(桜沢氏によるダニエル書とマタイの解釈)

最近、菜食についてX(twitter)上でちらほら話題になっているのを見かけ、大丈夫かな、蜘蛛の子を散らすように人がいなくなるので、人気取りをしたい人々は触れない方が良い話題なのでは、と思っている。

私自身は、四つ足だけをやめていた時期を含めるともう24年近く菜食をやっている。
基本的に卵乳菜食で、鶏肉や魚類、練り製品、四つ足などは食べないけれど、卵はわりと頂く。乳製品は積極的には摂取しないが、料理やお菓子に入っている分にはあまり気にしない。ご飯はほぼ玄米で、常に玄米というわけではなく、麺にしたり、分づき米にしたり、といった感じ。ごくんと呼ばれるニラ、ニンニク、ネギ、玉葱類は避けていない、まあいえば、昔の自給自足をやっていた山あいに住む農家の食事に近いのでは、という感じです。

なぜベジになったのか、の話はどこかに書いたかな、、結構ディープなので親しい人以外には言わないようにしてる(子どもと魔法で書いた気もするけど、今公開してない)。

やり方は、長年玄米菜食を実践していた人から直接教わった。彼女はもとから子どもの時から肉を受け付けない体質だったが、大人になってから玄米菜食を知り、未精白の穀物を食べるようになった。玄米菜食を彼女に教えた人は、広島で入市被爆し、白血病で死にかけた時にいろいろ調べて試した結果、玄米菜食(ほぼ7号食)で治した人なのだ。そういうことなので、私はかなりコアなあたりを知っている方だと思う。どこかのお教室で習ったわけではない。有名なお教室で教わり、めちゃくちゃな指導をされて体調悪そうにしている人に、友人がよくアドバイスをしていたのを覚えている。ひとりひとりの心身の状況に応じて調整する、というのを教えてくれる人はほんとうに少ないようで、ただごり押しされることで参ってしまい、反動でやたらこってりしたものが食べたくなり、結局玄米菜食自体を毛嫌いしてしまう人をたくさん見てきた。

ともかく、ベジ生活を長年続けたせいか、私の場合おつきあいで食べることも困難になっている。ベジ界隈の皆様にはいろんな方がいらっしゃって、社会生活を無理なく送っている方の多くは、頂き物やらおつきあいの宴席などでは、何でも食べ、平常時には質素な食事に戻して調整しているようだが、私の場合、おつきあいでも肉は食えない、、食べると熱を出して寝込むか、お腹を下すか、吐く。

そういうことなので、あたまでっかちな、動物愛護が理由のヴィーガンな皆様とはあまり意見が合わず、食の好みは近いのに、とても遠い人達だと感じている。

ヴィーガンと、穀物菜食の人々は、似ているようでめちゃくちゃ違う、というのは私の長年の体験による蓄積なのだが、先日目黒の東山にある日本CI協会(Macrobiotic Nippon C.I Foundation)にお邪魔してお話を伺ったときにも、「(マクロビは)ヴィーガンとはかなり違うんですよね」という話題になった。

ヴィーガンの人は、よくチートディといって、いきなりこってりした焼肉などを食べ、また厳しいヴィーガン食に戻る人が結構いらっしゃる印象がある。チートをしなくても、穀物があまり好きではなく、どちらかというとグリーンスムージーやら、ローフード(フルーツ中心)などを好む人が多い印象がある。
よく、穀物を食べるよりも、ローの方がさらに「波動が高い」みたいなことをのたまう方がいらっしゃるが、どうなのだろう。私はそんな風にはあまり思ったことがない。
脳の栄養は、とにかく炭水化物なのだ。穀物を否定してしまうと、脳の栄養が足りなくなり、肉体エネルギーが高いマッチョな状態(肉主霊従)になりがちなのではないか、というのが私の長年の観察と体験による見立てだ。

グリーンスムージーやら、青汁などのみでしばらく過ごしてみたことがある。実際、甲田療法で有名な森美智代氏は、自身の重い病を治そうとしたことがきっかけで、青汁とサプリだけで13年(※「食べること、やめました」1日青汁1杯だけで元気に13年 マキノ出版 が刊行された2008年時点)生きていらっしゃる。
私もどれほど体調が軽くなってすっきりするのかと思い、書かれている通りに1週間ほどやってみたことがあるが、炭水化物抜きダイエットをやるような感覚に近い体感になった。頭がどちらかというと朦朧として、あまりすっきりしない。青汁だけではなく、サプリによってビール酵母やらビタミンなどを補っているのがミソで、結局牛の体内のように近づけていく、というのがポイントのようだ。森氏は実際、牛にしかいないような特殊な体内微生物をたくさん住まわせていて、それらが体内で蛋白質を生成してくれるおかげで、その生成物+微生物そのものを栄養にしている。なので、穀物ベースの食生活とは、かなり異質な健康法なのではと私は思っている。

占星術と体質についてもずっと地味に調べており、おそらくこの「タンパクが多い方が体調が良い」星のもとに生まれた方が一定数いらっしゃる。(このあたりについては追ってまとめていきたい)。同様に、桜沢氏が推奨する、玄米菜食、その中でも玄米しかほぼ食べない7号食が合わない人達がいることも承知している。この人達は肉体エネルギーがよくもわるくも強い生まれの人々で、活動することで今世をまっとうする人々なのだ。

だが、人間がとくに精神性を重視して幸せに健康に生きる、というベースには、やはりこの穀物菜食があるのではないか、と私は思っている。

前置きが長くなったけれど、桜沢氏が「無双原理・易」の中で触れている、菜食の根拠、についてメモしておきたい。この本は現在絶版で手に入りにくいが、CI協会の会員になると、誰でも電子書籍を閲覧できるので、読みたい方は無料会員登録してみてください。(他にもかなりマニアックな本が大量に公開されていてほんとうに凄いです。)

よく、キリスト教の教義においては、家畜は神が人間のためにつくった存在だから食べても良い、みたいに言われることが多い。しかし、そんなことを言っていないのでは、と思わせられる箇所もたくさんある。

桜沢氏は著書の中で、

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

マタイによる福音書6:25
 

を勝手に解釈して何を喰うのも自由だ、というのは違うのではないか。創世記やレヴィ記に、人間の基本食は「穀物と木ノ実」であると明記されている、と語る。

どの箇所なのかは書かれていなかったのでざっと聖書検索機能で調べてみたのだけど、おそらくこのあたりかな、と思うあたりを引用しておく。

神は言われた。

「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。 30地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」

創世記1:29 新共同訳

あなたたちがわたしの掟に従って歩み、わたしの戒めを忠実に守るならば、 わたしは時季に応じて雨を与える。それによって大地は作物をみのらせ、野の木は実をみのらせる。 穀物の収穫にはぶどうの収穫が続き、ぶどうの収穫には種蒔きが続いて、あなたたちは食物に飽き足り、国のうちで平穏に暮らすことができる。

レビ記 26:3-5

(聖書の世界では、よく家畜が贄に捧げられるんですよね、、私の個人的見解ですが、贄を要らないとしている神と、贄を必要としている造物神と、2種類いて混線してるのでは、と思っているんですが、、)

そして、核心となるのが、この箇所である。

どうかわたしたちを十日間試してください。その間、食べる物は野菜だけ、飲む物は水だけにさせてください。

ダニエル書1:12新共同訳

日本語では「野菜」と訳されているが、ヘブライ語では「זרע」、英語では「pulse」、フランス語では「légumes secs」となっている。

https://mechon-mamre.org/p/pt/pt3401.htm

ヘブライ語の「זרע」は種つまり穀類、英語のpulseはブンドアズキに似た雑穀で、米のない地域ではこれを主食としている。フランス語の「légumes secs」も、乾燥した五穀、という意味だ。

穀類だけを食べることで試してください、というこの箇所、まさに、7号食(玄米ご飯と、添えても漬物程度で、おかずはほとんど無い食事)のことではないか?

ということを、桜沢氏は「無双原理・易」の巻末で問うている。

Photo by Shakib Uzzaman on Unsplash

最近、脳は第二の腸であり、腸から脳が生まれたのではないか、という研究結果が出ていたっけ。となると、腸が長い日本人(昨今は欧米化してどんどん短くなっているが)は、おなかに大きな脳を持っているのでは?

そういう体質の人に7号食は合うし、体調を崩した時に一時的に試すことは、その人を中庸に戻す、と私は思う。

いくら否定されようとも、古今東西の修行者は皆、基本菜食なのだ。その本質は、この穀物菜食にあるのではないかな、という裏付けになった気がするので、メモしておきたい。

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