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シフォンケーキとシオニズム①
わたしは、ふわふわしたスイーツがあまり好きではない。
その理由は、口に入れた時のクリームやスポンジがもつ柔らかく妙な口当たりの良さに、札束でほっぺたをひっぱたかれたような感覚があるからだ。
「どうお、嫌いなわけないでしょ、ほんとうは嬉しいんでしょ」
と言わんばかりである。
そしてそれに続いて、
あとでどーんと消化に負担がかかり、体が重くなるのが不快だ。
なんというか、口がうまい店員さんにおだてられて一瞬気分が高揚し、買った服を帰宅して着てみるとなんかあまり似合わず途方に暮れる感覚にもちょっと似ている。
といいつつも、あまりに疲弊しているときに、ちょっといただくと、一気に回復するので、美味しいと思うこともある。
だがそこまで疲れている時は、
ほんとうはスイーツに癒やされている場合ではないのだ。
ふわふわしたケーキの代表格といえば、シフォンケーキである。
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そもそも、シフォンという言葉に一般的に抱く、スイーツ好き、あるいはふわふわした洋服が好きな可愛らしい若い女性的な象徴的イメージ、というものと、語源はかなり隔たっている。
ロリータファッションにかかせない、ふわふわした飾りのレースのこともシフォンと呼ぶが、語源を紐解くと「引き裂く」というところから来ている。ひきさいたものは、間に空気が入る故、ふんわりとするのだが、その「引き裂く」という過程は、決して可愛らしいイメージにはそぐわない。
いったい何が引き裂かれたのか?
それは、シフォンレースであれば、布地である。
もともと、布として織られて完成形であったものを、部分的に利用するために引き裂いたものがシフォンレースということだ。
では、シフォンケーキでは、何が引き裂かれているのだろう?
シフォンケーキをはじめに開発した人は、作り方をしばらく明かさず意味深な微笑みを浮かべていたとかいないとか、そういった噂がある。
シフォンケーキをふんわりかたちづくるのにかかせないメレンゲは、卵という命のひとつまえ、として個として完成している存在を、泡立て器で攪拌することによって、たんぱく質のフォールディングがほどけ、空気を孕み、再度網目のように結びつくことで、ツノがしっかりとたつ。
このアミノ酸の結びつき・折り畳みをバラバラにして、再度バインドさせるというレシピの鉄則は、群れ社会の一員として、個性を殺し「矯正」されていく子ども、というのとレシピの輪郭がそっくりだ。
この個々の物語がしっかり破壊されつくしておらず、どこかに個性が残っていた場合、それは偏りとなる。遠心力にあやかろうとするとき、不安定になってふらついて回転ができない。
洗濯物を脱水機にかけるとき、脱水専用機や二層式を使ったことがある人ならよくわかると思うが、洗濯物を均等に詰め込まないと、機械が安定せず、作動しなかったり、ガタガタと大きな異音がして困ることになるが、それと同じことで、メレンゲを泡立てるときも、不純物を取り除き、ひとつひとつの粒子が細かく均質に揃うということが大事なポイントになってくる。
そう。だから悪名高きシオニズムの「シオン」は、シフォンケーキのシフォンと同じ風景なのではないかとわたしは気づいた。
力を強くするための方法論は、キッチンに、かわいらしい佇まいで潜んでいるのであった。