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洗う、哲学(2)
後半も、結局実用的な話じゃなくなりそうなのだけど。
瞑想とは、物事の成り立ちを考えること、
というのはシュタイナーの定義らしい。
しかし、今世俗でポピュラーな瞑想の定義はほとんどこれと逆で、
物事の成り立ちを忘れ、リセットすること、
として広まっている。
昔から、人を殺しまくる武士が、
良心の呵責に苛まれず、
心を乱さず仕事に邁進していくための技術として瞑想を使ってきて、
それが今の経済世界や自己啓発におけるマインドフルネスや瞑想流行りにつながっていると私は思う。
今の社会では、時代劇みたいに、
そこらじゅうでチャンバラが繰り広げられるわけではないが、
経済活動というものが持っている残酷さや非人道的である要素、
というものは、基本的に何も変わっていない。
それを実行していくための技術としての、
「物事の成り立ちを忘れ、リセットする」技術は、確かに有用だろう。
だがそれが何をもたらすのか?
洗うという行為は徹底的に、このことを問いかけてくる。
そして、「あなたの物語はなんでしたっけ?現在地はどこですか?」という問いかけがなされてくる。
ほんとうの瞑想は、そういう問いかけと共にあることではないだろうか?
この種の問いかけに耳を傾けると、社会的にうまくやってきたことにブレーキがかかる。ブレーキがかかることは、短絡的には損でありデメリットかもしれないが、死ぬ間際に後悔するより、よっぽど良いと思うのはわたしだけだろうか。
洗濯の実用的な話に戻ろう。
結局、日当たりが悪く洗濯機がない環境での手洗い洗濯で、わたしが行き着いた結論としては、
・リネン類を増やすと乾きやすく扱いやすいし、使い心地も良い(タオルも全部リネンに切り替え中)
・マグネシウム洗濯。多めのぬるま湯で洗うとすすぎが要らず時短、節水
・洗い桶は小さすぎるし、キッチンが狭いため、深さのあるほうろう鍋で洗濯(ほうろうは汚れが取れやすい。洗濯が終わった後同じ鍋で料理ができそうな勢い)
といったところに行き着きました。
3時間から半日かかってた洗濯が、約半分に時短で、もう苦になりません。
こんな感じで、いかに日々、微調整と知恵で乗り切るか。
このことが、ささやかながら、一番本質的に効く生き方ではないかな、と思う今日この頃です。