淡路島日記44 五斗長垣内(ごっさかいと)は、口癖になる心地よさ。
前回の続きです。
うおたけ海鮮店で美味しい海鮮丼を頂いた後に、
向かったのは、五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)。
うおたけ海鮮店から車で近く10分ほどのところ、
西海岸近くで山の上の場所にあります。
五斗長垣内遺跡は、2004年に発見された弥生時代後期(1~2世紀ころ)の遺跡です。
竪穴式建物の跡が発見され、たくさんの鉄器(126個)が出土しました。
これだけの鉄器が近畿地方で見つかったのは初めてのことで大きな発見だったようです。
この竪穴式建物の中で鉄器が作られていたという。
※この建物は、鉄器を作る工房で住居ではなかった。だから、竪穴式住居と呼ばずに竪穴式建物と呼ぶそうです。
その竪穴式建物が再現されています👇
これぞ弥生時代の風景です!
👇高いところからの撮影
わかりにくいですが、向こうに海が見えます。
中にも入っていきました👇
五斗長垣内遺跡で126もの鉄器が発見されました。
矢じりや斧が発見されており、狩猟につかったのか、戦いに使われたのか。とにかく当時、鉄は、とても貴重なものでした。
100年以上継続してここで鉄器を作っていました。
ところが、卑弥呼が現れる時代の前後に突然、ここから誰もいなくなり、鉄器作りは終了したとされています。
いったいどうしてか
・卑弥呼が現れて、平和になりここで戦争の道具としての鉄器を作る必要がなくなったのか
・他の地域で鉄の製造技術が進化したため、ここの製造技術が時代遅れになったのか
・中央政府や有力者の求めに応じて、場所を移したのか。
その謎は、解明されていません。
とにかく、近畿地方でこの時代の鉄器がこれだけたくさん出土することは非常に珍しく、歴史研究の上でもかなり重要な遺跡のようです。
邪馬台国がどこにあったのかの謎もこの遺跡の存在が意味を持ってくるかもしれません。
👇こんな風に鉄を作っていたようです。
ところで、
五斗長垣内(ごっさかいと)って言っているうちに口につくようになります。
名前の由来は何だろうと気になり、何となくここの女性館長に聞いてみました。
※その時までは知りませんでした。この方は、只者ではない、知識が豊富でいろんなことに詳しいとは。
垣内というのは、敷地を垣根で区分けするという意味で、この場所は、もともと垣内という場所だった。垣内は、その地方で読み方が異なるがこの地域では「かいと」と呼ぶ。
垣内遺跡だと、ちかくに開戸(カイト)という同じ音の地名があったため、区別する必要があった。
そこで、この地域は、五斗長という地域だったため、五斗長垣内遺跡とした。
ちなみに、ここより下に行くと四斗長、さらに下に行くと三斗長という風になっていた。
もともとは「ごとおさ」と呼んでいたのが、だんだんと言いやすいように
「ごっさ」と呼ぶようになった。
「ごとおさ」は言いにくいから「ごっさ」。確かに「ごっさ」はとても言いやすい。
というわけで
「五斗長(ごっさ)」地域にある「垣内(かいと)」
という場所の遺跡なので「五斗長垣内遺跡」と名付けられた
という解説をしていただけました!
ところで、この館長は、この遺跡のことだけでなく、驚愕するほど造詣深くて、僕が好奇心から次々とする質問に丁寧にわかりやすく解説してくださり、とても勉強になり、楽しい時間になりました。
まだまだ勉強するためにまた訪問したいと思います。
今回は、3回に分けて淡路市を巡る旅をブログにしました。普段は、洲本市~南あわじ市で活動していることが多いですが、こうして、淡路市の各所に尋ねてみたらとても面白くて、淡路島の奥深さを改めて実感する一日となりました。
淡路市はまだまだ行かねばならないところがありますね。
今日もお読みくださりありがとうございました。
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