![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162926755/rectangle_large_type_2_9a42614ab082b1aeb87139c86b430056.jpeg?width=1200)
歯医者。それは苦く、懐かしい思い出。
私には苦い思い出がいくつかある。
子どもの夢の応援団をしていた頃のことだ。
教育資金のために夫婦で一生懸命働き、授業料や仕送り費用を捻出していたため、
映画も観に行かない、本は図書館で借りるという質素な生活をしていた。
あるとき、過去に治療をしていた歯の被せものが取れたので仕事の合間に行ってみた。ところがあまりにもチマチマとした治療だったので、時間的にも金銭的にも続かなくて治療の途中で断念してしまう。
別の歯医者に行かなくては・・・と思いつつ、歯医者は時間とお金がかかりすぎる。そして、足が遠のいてしまったのだ。
あるとき、お世話になっている産婦人科の息子さんが同じ敷地内に歯医者をオープンしたので、思い切って診察を受けることに。すでに放置していた歯を失っていたのでインプラント治療に踏み切ることに・・・。治療後は必ずメンテナンスを受けないといけないので、いまは3ヶ月に一度通っている。
![](https://assets.st-note.com/img/1732339087-gru0YeFWMGn4imBy8wD53svU.jpg?width=1200)
産婦人科は数年前に閉院したが、いまもお付き合いをさせてもらっている。体調不良のときなどアドバイスを受けているし、インプラントの手術の最中にも顔を出して励ましてくれた。本当に感謝しかない。
私が21才のときに産婦人科がオープンした。21才で長女を、24才で長男を出産。長男を出産して入院していたとき、母と3歳の娘が電車で来てくれた。JR千旦駅からあぜ道を歩いてきた娘は汗だくだったのを覚えている。
当時の大きな病院だと牛乳とパンのみの食事が多かったが、こちらでは院長の奥さん手製の美味しい食事が出されていたため、それが口コミで拡がり人気の産婦人科になったのである。
![](https://assets.st-note.com/img/1732339182-xkcbUhXMJs3ZgtwNeByFOE8L.png?width=1200)
千旦駅の近くには松下公園がある。このあたりは松下幸之助翁生誕の地である。この地には思い出が詰まった産婦人科の建物と、斬新なデザインのデンタルクリニックが共存している。
![](https://assets.st-note.com/img/1732339132-urTecdH2azbLZBgFPwhpsDGC.jpg?width=1200)
当時3歳の娘は40才を迎え、私も還暦を過ぎた。健康でいるためには、歯の定期検診と少しの筋肉が必要だと痛感している。
いまは、一本の歯も失っていない91才の母と一緒に歯医者に通っている。
いいなと思ったら応援しよう!
![春風](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/73074308/profile_153dddc78dd97716115f4e866bdc4d60.png?width=600&crop=1:1,smart)