#26. 林の書庫にて
何者でもない者たちの物語:烈火の魔女と本読むゴブリン
#26. 林の書庫にて
ダネガリスの言葉通り、枯れ木の塔からダネガリスの野を越えるまでは何の障害もない一本道で、翌日の夕方には、チーグたちはゴブリン王国の南端へと到達していた。
彼らは、チーグが<林の書庫>と呼ぶ、木々に囲まれた古い屋敷へと向かった。
かつて、王国の南側の見張り兵の詰め所であったが、ダネガリスの野から王国へ入る者はいないため、いつしかうち捨てられた廃屋となっていた。それをチーグが補修し、こっそりと本を保管する場所として活用していた。
本などに興味を持たぬ一般のゴブリンたちが、その廃屋に興味を持つはずなどなく、実質的にチーグの隠れ家としての役割も果たしていた。
そして、帰還にそなえて必要な物資を、チーグはあらかじめそこに準備していた。
けれども、チーグたち一行はそこで意外な先客と遭遇することとなった。
本がたくさん置かれた古びた木造の屋敷に先に潜んでいたのは、第二王子のバレと、<四ツ目>であった。
「バレ・・・そして、<四ツ目>?」
チーグはとっさに事態が飲み込めず、仲間たちは直ちに戦闘態勢をとった。
「待て待て、俺はもうあんたらと戦う理由はない。報酬と関係のない仕事はしない主義でな」
<四ツ目>は両手を上げて敵意がないことを示した。
双頭の魔犬も、眠そうにあくびをしながら床にまるまったままだ。
「バレ・・・なぜ、リフェティを出てきたんだ?体調は大丈夫なのか?」
チーグは弟に詰め寄った。
バレは身を折りながら乾いた咳を繰り返していたが、やがてそれがおさまるとかすれた声で口を開いた。
「兄さん・・・必ず来ると思っていた。いまから・・・話すよ。リフェティで何が起きているか・・・」
そうしてゆっくりと、バレは事の成り行きを話しはじめた。
一年前のチーグの出立以降、リフェティ内部での王位継承をめぐる争いはし烈さを増した。
第三王子のヨーは軍の掌握に力を入れるとともに、殺し屋を雇って国外でチーグを始末しようとした。
けれども、古き良きゴブリンの伝統を守りたいと思う有力氏族の長老たちは、人間の文化を取り入れようとするチーグも気に入らない一方で、ヨーの過激なやり方にも反対であった。
有力氏族の長老たちは、病弱な第二王子バレか、まだ幼い第四王子を王位につけて、自分たちの傀儡としようと画策し、若手のダンを第二王子に接近させた。
長老たちの後ろ盾はあるものの、軍にも頼れず、またヨーほどの資金力もないダンは、ホブゴブリンのごろつきたちを雇って、チーグを捕らえようと画策した―――正確には、その疑いがあった。
ホブゴブリンは、ゴブリン王国に時として害なす仇敵である。ゴブリンより遥かに邪悪で残忍なホブゴブリンたちが、ゴブリン王国の王位継承問題に絡んでくることは望ましくない。少なくとも、バレはそう思った。
ダンが本当にホブゴブリンたちと通じているのか知りたかったが、バレは病弱で外出もままならなず、何もできない。そこでバレは<四ツ目>を雇い、ダンに接近させることにした。
ダンは<四ツ目>を自分の傭兵だと思い込み、信用するようになった。かくして<四ツ目>は、ダンに協力するふりをするために、チーグをホブゴブリンたちに捕まえさせるべく行動したのだった。
「俺の本当の雇い主は、第二王子のバレ殿下だ。だから、あんたたちを殺す気ははじめからなかった。ただ、ダンを信用させるために、ホブどもの元へ追い立てただけさ・・・」
<四ツ目>は、木製のキセルから煙を吹かせながら、そう言葉を挟んだ。
ノタックは、焼け落ちる馬車から逃げ出し倒れたあと、彼が目覚めるまで<四ツ目>が見守ってくれていたことを思い出していた。確かに、彼らは<四ツ目>に行く手を阻まれたものの、致命傷を負わされたわけではない。
けれども、ホブゴブリンの収容所で不快な思いをしたポーリンにとってみれば、なかなか気分よく認めるわけにもいかない話であった。
「俺の目的は、ダンがホブゴブリンとどのように通じているのかを調べることだった」
<四ツ目>が補足する。
「―――だが、思いもよらぬことが起こった」
<四ツ目>は深いため息をついた。
それは、ゾニソン台地からザギスという新たなホブゴブリンが出てきたことであった。
ダンが通じていたのは、バーザというホブゴブリンの略奪団の頭領であったが、ゴブリン王国のごたごたを聞きつけたザギスという強力なホブゴブリンが、遥か南のゾニソン台地からやってきてバーザを殺し、ホブゴブリンの略奪団も乗っ取ってしまったのである。
ダンが話す相手は、ちんけな略奪団の頭領から、統制のとれたホブゴブリンの兵士たちを率いるザギスへと変わった。これは、ダンにとっても予想外のことだった。
南の地で略奪しつくしたザギスは、豊かな人間の国であるコヴィニオン王国を襲うため、ゴブリン王国との同盟と、王国の通行許可をダンに迫ったのである。
「ダンの野郎、それを飲んだというわけか・・・」
チーグの小さな牙が上唇をかむ。
「それは同盟などではない。コヴィニオン王国への襲撃の責任を、我々に押し付けるための罠だ」
「ああ・・・ザギスという男が、そこまで計算しているのかどうかは分からないが、結果としてはそうなるだろうな」
<四ツ目>はうなずいた。そして、重苦しい声で続ける。
「ザギスは腹の読めない男だが、いまの王国の指導部が彼に従わない場合、それらを廃してダンを頭にすえる気のようだ」
「・・・弟を傀儡にしようとしていたのに、自分がホブどもの傀儡になるとは、けっこうな出世だな」
チーグは吐き捨てるように言った。
ザギス率いるホブゴブリン軍は、ダンの手引きでリフェティを速やかに制圧した。<四ツ目>は事前にバレに警告し、バレとともにリフェティを出立し、ここに潜んでいたのである。
その後の、リフェティ内の詳しい様子は分からないが、少なくともゴブリン軍とホブゴブリン軍の衝突は起きていないようであった。ゴブリン軍を掌握していた第三王子ヨーと、ザギスの間に何らかの取引が成立したとみるのが妥当だった。
「言わずもがな―――と、リングウェイ王国の文人ヤニスなら言っただろう」
チーグはため息まじりにつぶやいた。そして、自身の首に手を当てる。
「ヨーとダンが手を組むとすれば、それは俺の首を狙っているに違いない・・・」
「きっと、そうだろうね」
第二王子のバレがかすれた声でささやいた。
「・・・ヨーについているゴブリン兵どもは、どうとでもなると思っていたけど、ホブの軍まで相手にしないといけないとはなあ」
チーグは両手を頭の後ろで組み、考え込むようにぼんやりと上を見上げた。
「少し、考えたい」
「・・・ちょっといい?」
ここでポーリンが口を挟んだ。
「ええと、<四ツ目>?あなたは、本当に信用できるの?」
ポーリンの鳶色の瞳にはぬぐい切れぬ不審さが宿っていた。
<四ツ目>は苦笑し、バレの方を見た。バレは肩をすくめる。<四ツ目>はおずおずと口を開いた。
「俺は、コヴィニオン王国の騎士・・・だった、昔はな。ゆえに、ホブゴブリンどもが、祖国の領土を侵すのを見過ごすわけにはいかない。たとえ、追放された身であったとしても」
追放、という言葉にノタックがぴくっと眉を動かし、深いまび差しの兜の間から、<四ツ目>を見つめた。
「なるほど」
ポーリンはおずおずとつぶやいた。殺す気はなかったとは言え、危険な目にあわされた男をすぐに信じる彼女ではなかったが、少なくとも利害は一致しているということだ。
「分かりました」
ポーリンはそう言うと、腕組みをして目を閉じ、黙りこんでしまった。
凛とした顔立ちとセピア色の髪をポニーテールにして結んだ彼女の姿を見て、<四ツ目>は何かを思い出すようなはっとした表情を浮かべていた。そして、期せずして、眼帯に覆われた右目を静かに触っていた。
奇妙な縁によって導かれた、数奇な人生を送るものたちが集う<林の書庫>に、夕暮れが訪れようとしていた。
(つづき)
(はじめから読む)