#27. 兄と弟、そして友たち
何者でもない者たちの物語:烈火の魔女と本読むゴブリン
#27. 兄と弟、そして友たち
チーグが<林の書庫>と呼ぶ隠れ家に、夜が訪れる。
パチパチと音を立てながら薪が燃える暖炉の前に、第二王子のバレは座っていた。病弱な彼にとって、リフェティからの脱出行は苦難であった。太陽の光が彼の体力を奪い、乾いた空気が咳の発作を引き起こす。木造りの家も苦手だった・・・彼は、エルフや人間ではない。木の匂いは、身体の弱った彼に不快さをもたらした。
リフェティの自分の部屋が一番だ・・・時にこみあげる咳の発作を我慢しながら、バレはそう考えていた。
鬱々とするバレの鼻に、苦みと香ばしさの入り混じった不思議な匂いがやってきた―――なにかを煎じた匂いだ。
視線をあげるバレの前に、木製の器に入れられた緑色の液体が差し出された。それを持っているのは、兄のチーグだ。
「人間のところで学んできたせんじ薬を、ノトに作ってもらった。飲んでみろ」
「・・・ありがとう」
バレはそれを受け取ると、一気に飲み干そうとしたが、強烈な匂いと味でむせこみそうになった。
彼の体調を緩和する薬・・・その処方を得ることが、チーグの旅の目的の一つでもあったことを、ノトは知っていた。
「どうだ?」
チーグは恐る恐る聞く。長きにわたる旅の成果の一つが、試されようとしていた。
「うん・・・」
ノトは短くつぶやき、薬が喉に染み渡る感覚を深く味わった。
「味は最悪だけれど、ちょっと気分はいい気がする」
「そうか、良かった」
チーグはほっとしたように言った。
「おまえの雇った人間のせいで、ほとんどの本は燃えてしまったが、薬草の処方はこのノートに残していた」
チーグはふところから彼が大事にしているノートを取り出して見せた。
バレは複雑な表情を浮かべた。
「・・・悔しいけれど、人間の文化はすごいんだな」
「ああ、それを取り入れることで、ゴブリン王国はもっと栄えるはずだ。<雑草の丘>を優れた果樹園にする方法も、学んできた。<岩門>の外も、川から水を引いて農地にできるかも・・・」
「そうかい」
バレはつぶやきながら、先ほどまでよりは、呼吸が楽になっている実感を得ていた。
「ときに兄さん」
バレは、遠くを見る目をしてゴブリン王国の明るい未来を語るチーグに、おずおずと聞いた。
「その薬草の調合の記録、僕にくれないかな」
別の部屋の暖炉のまえで、ノタックは双頭のハンマーをきれいに磨き上げていた。
この世界で最も堅い石から、いにしえのドワーフの名工たちが鍛え上げたという伝説のハンマーだ。青みがかった黒色を基調とした表面は磨けば磨くほど輝きを発し、柄から双頭のハンマーへかけての基部は蛇が絡み合うような曲線的な外観となっており、ハンマーに女性的な艶やかさを与える。
ノタックは、柄に自分の顔が映り込むまできれいに磨き上げるのを日課としていた。
磨き上げたハンマーに、暖炉の炎が当たってキラキラと輝くのに見とれていた彼は、ポーリンの姿が映り込むことに気づいた。
「いつ見ても美しいハンマーね、見とれてしまう」
ポーリンもため息をついた。武器そのものにはあまり関心がないが、芸術品としても一級の価値があろうことは彼女の目にも明らかだったし、何よりこれは貴重な魔法の秘宝であることも知っている。
「国を持たない自分にとっては、もはや家族同然だ」
ノタックはぎこちなくそうつぶやいた。
ポーリンはその言葉を噛みしめると、今こそ聞きたかったことを聞く好機と考えた。
「・・・良かったら、どうして国を追放されたのか教えてくれない、ノタック?」
ポーリンは、そう言ってから、静かな湖面に石を投げ込んだかのような気まずさを感じた。
「もしも、失礼じゃなかったら」
慌てるように付け足す。
ノタックは、全く表情を変えずに淡々とその言葉を受け止めていた。
「貴公にはいつか話したいと思っているが、長い話だ」
ため息交じりにそうつぶやく。
「王都に乗り込む準備をせねばならない今、話すべきことではない」
「・・・そうね、ごめん」
ポーリンはうなだれるように言った。
ノタックは首をかしげた。
「どうしてあやまる?時がくれば、話そう」
「そうね、ありがとう」
ポーリンはそう言うと、思い切ってもう一つの提案をしてみることにした。
「ねえ、ノタック。チーグの帰還を果たしたあと、私は報酬金で南のザルサ=ドゥムというところを目指す仲間を募るつもり・・・もし良かったら一緒に来ない?」
その提案は、思った以上に勇気がいるものだった。心臓の鼓動が早まるのを、ポーリンは自覚していた。
「いいぞ?」
ポーリンのささやかな心理的葛藤を尻目に、ノタックの返答はあっさりしたものだった。
「貴公のような強力な魔法使いの共をするのは、名誉なことだ。最強のドワーフを目指すうえで、学ぶことも多い」
ノタックは真顔でそう言ったが、ポーリンは冗談半分に受け取っていた。
「私が強力な魔法使い?」
サントエルマの森では、彼女は下っ端の落ちこぼれだったし、今回の旅でも力不足をいやほど感じさせられた。けれども、そう言われることは不愉快ではなかった。それも、恐らくはドワーフ族の中でも指折りの屈強の戦士に。
「<滅びの都>ザルサ=ドゥムは危険な廃墟だと聞いている。どうして、そこを目指す?」
ノタックのくりっとした目の中には、興味が宿っていた。
「それこそ、真に“強力な魔法使い”になるためよ」
ポーリンは遠い記憶を辿りながらいった。
「会ったことのない父の影を追っている。これも、長い話。時がくれば、話す」
ポーリンの鳶色の瞳にやや影がさしたようだった。
けれども、ノタックは数度声をたてて笑っていた。何が面白かったのか、分からないが、おそらくはノタックと同じ言葉を返したことが気に入ったのだろう。
ノタックが笑うところを、ポーリンは初めて見たように思った。
「そなたと旅をする楽しみが、一つ増えた。けれども、まずは目の前の任務に集中しなければ」
ノタックは再び表情を引き締めると、自らを律するようにつぶやいた。
「チーグ殿下をリフェティにお連れする、ここからが本番だ」
「たしかに」
ポーリンも小さく何度かうなずいた。
リフェティの目前に迫り、距離という意味は、ゴブリン王国へチーグを連れ帰るという任務のほとんどを成し遂げたようでもあるが、敵地に潜入するという危険を考慮すれば、まだまだ道中半ばだ。
この任務をなし得てこそ、ようやく彼女は「何者か」に近づけるだろう。
未来に思いをはせども、足下にもしっかり注意を払わなければならない。
ドタドタと、外の廊下にうるさい音がしたかと思うと、粗雑に扉が開け放たれた。暖炉の炎が揺れ、ノタックとポーリンは戸口を見た。
そこには、外で見張りをしていた<四つ目>が立っていた。
「夜闇に紛れてリフェティから逃げてきたゴブリンを捕まえた」
<四つ目>はそう言うと、彼の後ろを指し示した。
双頭の魔犬のうなり声に怯えながら、二人のゴブリンが部屋の中へ押し出されるように入ってきた。
ノタックとポーリンは、いったん互いの顔を見合わせてから、<四つ目>を見た。
<四つ目>は満足そうな笑みを浮かべていた。
「リフェティの情報を、聞き出せる」
(つづき)
(はじめから読む)