#22. リフェティ陥落
何者でもない者たちの物語:烈火の魔女と本読むゴブリン
#22. リフェティ陥落
ゴブリン王国リフェティの東門―――門とは名ばかりの場所。通称、<谷門>。王国へ繋がる谷間の出口に、王国と東の荒れ地を区切る土塁がつまれ、狼煙台をかねた小さな見張りの塔が付属しているだけである。
見張りの塔には、三人のゴブリンの衛兵が詰めているが、ここは怠惰なゴブリン兵にとって理想の職場である。
<谷門>から出入りする者は、原則的にはいない。飯を食って、昼寝をするだけのお気楽な仕事だ。お忍びで東の荒れ地へ行きたいという変わり者か、危険を冒して王国へ入国したいという密売人がまれいるだけで、それも賄賂をもらって「誰も通行していない」ということにするだけである。
危険をしらせる狼煙台が使われたのは、もう何十年前のことか・・・巨大なサンドワームが<谷門>近郊に紛れ込んだときだ。その巨大な口は山をも飲み込むほどのものだったらしいが、それすら、見張り兵たちのなかでの伝説であり、どれだけ尾ひれがついているか分かったものではなかった。
そして今は、第一王子チーグの帰還を阻むため、第三王子ヨーが王国兵の多くを西門、通称<岩門>に集結させていると聞く。仮に狼煙を上げたとしても、軍勢はすぐに動けない。
そういった理由もあり、見張り兵たちはいつも以上に怠惰に勤務をこなしていた。
日がかたむき日没が近づきつつあるとき、密やかに<谷門>を出て行ったダンが帰ってきた。
兵士たちは三人とも、見張りの塔のなかで居眠りをしていた。
「起きろ」
ダンは兵士たちをたたき起こした。
「・・・へへ、こりゃあ、ダンの旦那」
悪びれるどころか、帰りの分の賄賂を期待して、兵士たちは手もみをした。
「お前たちは、古き良きゴブリンだなぁ」
ダンはしみじみとつぶやいた。兵士たちは顔を見合わせる。
「どういうことです?」
「俺は、お前たちのようなあるべきゴブリンの姿を守るために、戦っている」
「はあ・・・」
兵士たちは訳もわからず、首をかしげた。
「だから、狼煙台は使わないで欲しい。金も払うぜ」
ダンはとっておきの銀貨を一枚ずつ指ではねて兵士たちへ渡した。
「おお・・・銀じゃないですか」
兵士たちは目を輝かせた。
「ああ、それをやるから、俺についてこい」
ダンは顎を上げてついてくるように示した。
ダンは軍隊の者ではないが、有力氏族の次代の長と言われている。兵士たちは付き従うしかなかったーーー銀貨ももらったことだし。
ダンは見張りの塔の扉を開け放った。
外では、百人を越えるホブゴブリンの兵たちが、土塁を乗り越えて王国へと進軍していた。
ホブゴブリン軍による、ゴブリンの地下王国リフェティの占領は速やかに行われた。
王国の地下通路自体が、巨大な防壁となるはずであったが、ダンという水先案内人を得たホブゴブリン軍の動きは効率的であった。
地下の巨大な空洞の中につくられた謁見の間にホブゴブリンの兵たちがなだれ込んできたときも、ゴブリン王ボランは衛兵を強化することもなく無防備なままだった。
「一体何事だ・・・ダン?どうしてホブどもがここに?」
古い毛布のようなささくれたえんじ色のマントをまとうボラン王は狼狽した。
ダンはうやうやしくお辞儀をした。
「国を立て直すためです。陛下は、しばしお休みを」
「・・・なんだと?おい、どういうことだ!」
ボラン王は大柄なホブゴブリンたちに担ぎ上げられ、謁見の間から連れ出された。
連れ出されるボラン王と入れ替わりに、ホブゴブリンたちを率いるザギスがやってきた。毛布のようなマントにくるまれる王を見て、ザギスはにやりとする。
「おまえら、笑え」
周囲にいるホブゴブリンたちに、さざ波のように哄笑が起こる。
上機嫌で歩み寄ってきたザギスは、ダンにも笑うよう促した。
「いまこそ、笑うときだぞ、ダン」
そう言ってから、王座を指し示す。
「あの椅子は俺には小さすぎる・・・お前が座れ」
ダンはうかがうように玉座を見つめたが、やがて引きつった笑いを浮かべた。
「・・・まさか、こんな日が来るとはな」
ダンはそうつぶやくと、玉座に腰を下ろした。座り心地を確かめるように、立派な肘掛けを撫でるように触る。
しかし、感慨に浸る時間は長くはなかった。まだ油断ならない。王はあっけなく片付いたが、まだ第二王子と第三王子が残っている。
「第二王子のバレはまだリフェティにいるはず、捕まえろ。その後、<岩門>にいる第三王子のヨーと対決だ」
ダンは威勢良く言ったが、ザギスが怪訝そうに眉をひそめるのを見て、言葉を詰まらせた。
「・・・バレを速やかに捕まえてくれないか?そして、王国の守備兵の多くは西門に無傷で残っているから、まだ油断しないで欲しい・・・ザギス殿」
低い声で丁寧に言い直したダンに、今度は、ザギスは満足そうな笑みを返した。
「無論、油断などしていないとも」
第二王子バレは、他のゴブリンと同様に、本を読むことなど決して好きではない。けれども、病弱な彼にとって、読書は自室でできる数少ない気晴らしの一つであることも確かだった。
朝から咳き込みがひどく、身体を動かすことも苦だった彼は、兄がくれたゴブリンの大魔法使いヤザヴィの冒険物語を読んでいた。時に読めない文字もあるが、話の筋は理解ができる。ちょうど、ヤザヴィが世界の裏側まで通じる穴を魔法で作れるかどうかを試すくだりになったところで、外が騒がしいことに気づいた。
彼はボロボロにすり切れた本を閉じると、重い身を起こし、立ち上がろうとした。
咳の発作が襲い、身を折るようにする。
それが収まると、足を引きずるように部屋の戸口へと向かった。
そのとき、外側から扉が乱暴に蹴りあけられた。一陣の風がほこりを巻き上げ、彼は咄嗟に腕で口元を覆った。
「・・・誰?」
こみ上げる咳をこらえながら、バレはかすれる声で問うた。
ほこりの向こうから現れたのは、双頭の犬と、眼帯をした赤いマントの男だった。
(つづき)
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